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編集長インタビュー

ニュージーランドの農業はいかにして規制改革を乗り越えたか

 もうひとつの歪みは、政府が関税を非常に高く設定していたため、輸入品が高かったことです。そのためニュージーランド国内で作っていない農業機械は非常に高価になり、ハイコストな農業をやらざるを得なかったのです。そこで政府は補助金をカットする代わりに、輸入障壁の関税も下げ、農業の競争力を向上させる方向に舵をきったのです。

 労働改革や金融改革は、補助金がカットされてやや経ってから起きたので、その間に失業問題などの痛みはたしかに存在しました。

昆 回復するまでにどれくらいの時間がかかったのですか?

ポルソン 5~6年はかかったと思います。転換期は、やはり労働改革が追いついてきた頃ですね。市場はラムでもビーフでも小さく切って冷凍で送られる商品を求めているのですが、ニュージーランドは加工費が高いという問題がありました。ですから工場の回転をよくするために、シフトを朝から晩まで入れられるようにしたり、期間契約で働いてくれる人材を雇えるようにしたり、構造改革が必要だったということです。

 また、輸送業界にも競争させて、コストを下げる制度が必要でした。こうした取り組みを経て、1990年頃にようやく危機を脱出したと実感できるようになりました。

昆 そこに至るまでには、困難も伴ったことでしょう。

ポルソン 最悪の時期は85~87年頃。農業者自らのなかで構造改革が起こり、一部は事業閉鎖するケースもありました。インフレの封じ込めには時間がかかり、国としても通貨政策で金利を急に上げました。ですからお金を借りている農家は返済に困ることになり、政府は低金利のつなぎ融資をして、それを数千戸の農家が利用した時期もありました。ただ、補助金がなくなったことによる影響はさほど感じませんでしたね。


危機感が競争を生み、経営能力を刺激する

昆 その段階で、ヨーロッパでは特定のところに直接支払いをやったわけですが、ニュージーランドではそういう政策なかったのですか?

ポルソン それはなかったですね。政府は一歩下がって事態を静観していた印象でした。我われとしても、あまり干渉してこない「小さい政府」であることを求めていて、競争力のある、安定した国を運営してくれさえすればいいと考えています。

 というのは、ニュージーランドの人口は400万人ですが、4000万人分の食料を生産しており、絶対に輸出が必要だからです。私の農場も輸出が9割を占めています。そのためにコストをできるだけ下げて、競争力がある形でやっていきたいということを政府にも求めております。 

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