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【江刺の稲】
農業経営者・木内博一の「仕事の流儀」
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第160回 2009年07月01日
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NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」で本誌でもお馴染みの千葉県の木内博一氏(和郷園代表)が紹介された。その番組に対する反響は大きく、本誌にも多数の読者から、様々なコメントが寄せられた。
非農家の人々からの反応は、同番組を通して木内氏の経営者としての素晴らしさと同時に、日本農業の可能性を改めて認識したというものがほとんどだった。
一方、読者からの反応のなかには少し複雑な感情が込められたものも少なくなかった。こんな評論をする人もいた。
「彼はもう農業経営者とは呼べないのではないか? 彼はすでに集荷業者であり、加工業者ではないか」
“複雑な感情”と書いたのは、そういうコメントを寄せた読者たちが、むしろ自ら顧客開拓をし、まさに本誌が農業経営者として評価するような人々であるからだ。
そうした方々の心の片隅には、木内氏に対する経営者として当然持って不思議ではない嫉妬心もあるのではないだろうか。それが、「すでに彼の手は農業をする者の手ではない」というような表現を使わせたのだろう。 僕は、彼らの木内氏に対する嫉妬心を決して無意味なことだとは思わない。むしろ、自分より優れた者の存在を知り、それを嫉妬するのも経営者の自然な反応だ。その競争心こそが農業界を活性化するのだと思う。
これまでの農業界では、農家の平均ばかりが語られてきた。すでにわが国の農家のほとんどは、単に農地を所有するだけ、顧客やマーケットを意識せずに、赤字は承知で自らの趣味の大規模家庭菜園を楽しんでいる人々であり、時代である。そのなかで農業経営の平均を云々したところで、何の意味があるのだろうか。少なくとも自らを農業経営者であると任じるのであれば、様々な指標において最先端を走る者あるいは最高を記録する者と自らを比較し、仮にトップと自らの落差を口惜しく思い、それを励みとすべきなのである。さもなくば、ナンバー・ワンを競うよりオンリー・ワンの自らの位置を求めて切磋琢磨することに励むべきだ。
そして、あえて様々な指標と書いたのは、現代の農業経営あるいは農業経営者としての在り様は多様であり、社会が農業に、そして農業経営者に求めるものも多様である。時代の要求がそうであればこそ、農業経営者を評価する指標もひとつではない。
僕が木内氏と初めて会ったのは、16年くらい前だった。彼はまだ20代半ばだった。そのとき彼が、大原幽学を学んでおり、それを目指すのが自分の役割だと思っていると話していたのが印象に残っている。
大原幽学は天保年間に下総国香取郡(現在の千葉県旭市)で農業協同組合である先祖株組合を世界で最初に設立した人。そして今、わが国の農協運動がビジネスモデルとしての有効性を失いかけているなかで、木内氏はそれに変わる組織を作りあげ、さらに発展させているのである。
木内氏は、単に自らの農場(さかき農産=現在は木内氏の弟、克則氏が代表)を発展させるだけに止まらず、仲間と共に和郷園で農業経営の可能性を追求している。そのために、彼が畑で土に触れる農業経営者として最も楽しい仕事ができなくなっていたとしても、僕は彼こそを最も優れた農業経営者の一人であると確信している。それが文字通り木内氏の農業経営者としての「仕事の流儀」なのである。
非農家の人々からの反応は、同番組を通して木内氏の経営者としての素晴らしさと同時に、日本農業の可能性を改めて認識したというものがほとんどだった。
一方、読者からの反応のなかには少し複雑な感情が込められたものも少なくなかった。こんな評論をする人もいた。
「彼はもう農業経営者とは呼べないのではないか? 彼はすでに集荷業者であり、加工業者ではないか」
“複雑な感情”と書いたのは、そういうコメントを寄せた読者たちが、むしろ自ら顧客開拓をし、まさに本誌が農業経営者として評価するような人々であるからだ。
そうした方々の心の片隅には、木内氏に対する経営者として当然持って不思議ではない嫉妬心もあるのではないだろうか。それが、「すでに彼の手は農業をする者の手ではない」というような表現を使わせたのだろう。 僕は、彼らの木内氏に対する嫉妬心を決して無意味なことだとは思わない。むしろ、自分より優れた者の存在を知り、それを嫉妬するのも経営者の自然な反応だ。その競争心こそが農業界を活性化するのだと思う。
これまでの農業界では、農家の平均ばかりが語られてきた。すでにわが国の農家のほとんどは、単に農地を所有するだけ、顧客やマーケットを意識せずに、赤字は承知で自らの趣味の大規模家庭菜園を楽しんでいる人々であり、時代である。そのなかで農業経営の平均を云々したところで、何の意味があるのだろうか。少なくとも自らを農業経営者であると任じるのであれば、様々な指標において最先端を走る者あるいは最高を記録する者と自らを比較し、仮にトップと自らの落差を口惜しく思い、それを励みとすべきなのである。さもなくば、ナンバー・ワンを競うよりオンリー・ワンの自らの位置を求めて切磋琢磨することに励むべきだ。
そして、あえて様々な指標と書いたのは、現代の農業経営あるいは農業経営者としての在り様は多様であり、社会が農業に、そして農業経営者に求めるものも多様である。時代の要求がそうであればこそ、農業経営者を評価する指標もひとつではない。
僕が木内氏と初めて会ったのは、16年くらい前だった。彼はまだ20代半ばだった。そのとき彼が、大原幽学を学んでおり、それを目指すのが自分の役割だと思っていると話していたのが印象に残っている。
大原幽学は天保年間に下総国香取郡(現在の千葉県旭市)で農業協同組合である先祖株組合を世界で最初に設立した人。そして今、わが国の農協運動がビジネスモデルとしての有効性を失いかけているなかで、木内氏はそれに変わる組織を作りあげ、さらに発展させているのである。
木内氏は、単に自らの農場(さかき農産=現在は木内氏の弟、克則氏が代表)を発展させるだけに止まらず、仲間と共に和郷園で農業経営の可能性を追求している。そのために、彼が畑で土に触れる農業経営者として最も楽しい仕事ができなくなっていたとしても、僕は彼こそを最も優れた農業経営者の一人であると確信している。それが文字通り木内氏の農業経営者としての「仕事の流儀」なのである。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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