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新・農業経営者ルポ

自分で作ったものに自分で値段をつける農業を

農業に興味のなかった少年が目指した米国

 民田地区の農家に生まれた五十嵐氏だったが、20歳になるまでまったく農業には興味がなかったという。1938年生まれの父も、日の出から日暮れまでくたくたになるまで働いて、冬には出稼ぎに出なくてはならないような仕事を息子に継いでほしいとは思っていなかった。

 高校は工業高校へ進んだものの、アルバイトに明け暮れ、月に7~8万稼いだ。自立心の強い五十嵐氏は高校の授業料を自分で払った。勉強はあまり得意ではなかったが、英語だけは好きで成績も良かった。

 高校卒業後、大学へ行くつもりで受験するも失敗。一浪して再び挑戦するも、また失敗。どうしたものかと思っていた時、ふと目にした新聞の記事に釘付けになった。米国での農業研修生募集という記事だった。

「こりゃ面白そうだ、と思いましたね。期間は2年間で自己負担は10万円。これは行かなくては損だろうと、すぐ応募を決めました。農業に興味があったのではなく、米国で2年遊べるぞくらいの考えでした。帰国したら22歳でしたから、それから公務員試験でも受ければいいと思っていました」

 研修生を募集していたのは、(財)国際農業者交流協会という団体だった。選考試験があるということだったが、英語なら自信があった。ところが、選考会場に行ってみると、英語のテストのほかに体力テストがあった。しかも、その後、和歌山での研修では朝5時に起こされ高野山の頂上まで60km歩かされた。「なにか変だなと思ったのですが、このあとOBがこう言ったんです。『おまえたちは米国に研修に行くんじゃないんだ、労働に行くんだ』。どうりで体力テストがあったり、歩かされたりしたわけだ、とわかりました。それでやめる人もいましたが、私はそれでも米国に行きたかったんです」

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