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特集

水田農業の「当たり前の経営」 そのコメづくりは必要とされているか

昨年産の米価の大幅な下落に続いて、農協の再編問題が決着し、農業情勢は変化のときを迎えている。そんななか、Facebook上で「最近の農家は補助金ありきで考えるのが当たり前になり過ぎている」という農業者からの書き込みがあった。農業政策は生産調整の計画遂行に伴って、経営費の1/4以下の販売収入しか見込めない転作助成を行なってきた。過剰な農業保護政策は農家や農業を本当に助けているのだろうか? 答えは多くの農業者が気づいている通りだが、交付金を受け取ることが優先され、経営理念や経営思想、誇りを失い兼ねない情勢ではないかと思う。 昨年10月に開催された財務省の財政制度等審議会 財政制度分科会でも「土地利用型農業において所得を向上させていくためには、農家の経営マインドを阻害し、需要に応じた生産を妨げている施策、制度、流通のあり方などを見直していく必要があるのではないか」という論点が挙げられた。本誌がこれまで一貫して唱え続けてきた「当たり前の農業経営」をテーマに、販売収入と所得の関係を見直し、補助金や交付金に頼らない水田農業のあり方を問う。 (取材・写真・まとめ/窪田新之助、平井ゆか、加藤祐子)


農家の「当たり前」VS経営者の「当たり前」

減反政策に伴う本格的な生産調整が始まってから45年が経つ。その間に農家側では着実に世代交代が進んでいる。後継者不足や平均年齢の高齢化が騒がれる一方、若い世代の台頭も著しい。生産調整前の食糧が不足し、戦後の作れば売れるという時代を経験した親父さんは引退し、子供時代から既に生産調整の恩恵を受けて育った後継者に経営が引き継がれつつある。
このことは同時に、交付金に頼って、水田で転作作物を栽培し、収入を得るという農業スタイルに疑いを持たない農業者が増えているという側面を持つ。
自ら栽培した農産物は、販売先を見つけて、価格を決めて売る。本誌では長らく、マーケットを見て作物をつくるように訴えてきた。その実例が、消費者への直売であり、小売との契約栽培であり、インターネットを活用した販路の拡大でもある。このような思考は、コメに至っても、食管法の呪縛に捕らわれない自由な発想を持った世代は、当然のこととして受け入れた。農家の「当たり前」を覆したかもしれないが、経営者にとっては「当たり前」のことである。
取材先で、最近「常識にとらわれない経営を」というセリフをよく耳にする。ここで語られる「常識」は、その地域で、農家として暮らしていくなかで作られたローカルな考えを含み、地域のしがらみであったり、食管法の呪縛や農協への過度な依存であったり、かつての購入・販売の選択肢の少ない時代には暮らしを継続する知恵でもあったのかもしれない。しかし、時代の流れに伴い、経営者は常識を外れた挑戦を常にし続けなければならないのだ。
昨年、米価の下落を受けて、危機感は一気に高まった。既に交付金に頼る農業が長続きしないという新たな挑戦を始めている方にとっては、何も新鮮なことではないが、いざ収入が減ってみると、より綿密な戦略を立てなければならなくなる。
コメづくりで言えば、作期の延長、直売や契約栽培、多収性品種の導入などはもちろん、各経営に合わせたコスト削減の努力も未来を見つめている方々にとっては既に取り組んでいることだろう。
地域の農家の「当たり前」は超えられても、経営者としての「当たり前」にどう挑もうとしているのか。水田農業で試行錯誤をしている3人の経営者に話を聞いた。

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