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【新・農業経営者ルポ】
日本における中国野菜の源流
- 西川ファーム 代表 西川圭二
- 第129回 2015年04月06日
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「日本に中国野菜がない」
飲食店や百貨店などがひしめき合うJR常磐線の柏駅から、車で10分もかからない住宅街にある西川の自宅。その敷地内にある事務所で話を始めると、交換したばかりの名刺の裏を見るよう促された。そこには6haの畑で栽培している野菜の名前が羅列してある。「青梗菜(チンゲンサイ)」「香菜(コリアンダー)」といった耳慣れたものから、「雪里※(セリホン)」「搨菜(ターサイ)」など、どう読んでいいのかわからないものまで並ぶ。(※=草冠に左が長、右が共)
「中国野菜」というのは一言で言ってしまえば中国由来の野菜といった意味だが、チンゲンサイやクウシンサイなど、いまではすっかり日本の食卓やレストランに定着したものもある。西川親子が作り始めなければ、いずれも日本での普及はずっと遅れていたかもしれない。
父の述夫がもともと熱心に作っていたのはコカブだった。「柏でコカブといえば西川」と呼ばれるほどの腕自慢で通っていたそうだ。一家が中国野菜と出会ったのは西川が中学生のとき。述夫の知り合いである中華料理店の店主が中国人シェフを雇ったところ、そのシェフが「日本には中国野菜がない。これでは本場の中華料理が作れない」とこぼした。その嘆きに述夫は商機を見た。そこで、当時から懇意にしていたサカタのタネを通じて中国から野菜の種を取り寄せ、自分で作り始めたのがすべての始まりである。
最初に作ったのはチンゲンサイ、続いてターサイ。穫れた野菜はその中華料理店に卸すほか、たまたま述夫の叔父が築地市場の仲買人だったため、叔父を介して他の仲買人に中国野菜の食べ方を説明しながら営業していった。
試行錯誤の末につかんだ
栽培の勘所
やがて市場での評価が高まるにつれ、サカタのタネから品種改良した中国野菜の新しい種が試作用に次々と送られてくるようになる。西川が「親子そろってチャレンジ精神が旺盛」と言うだけに、述夫はそれらの野菜を好んで作り続けた。
ただ、新しい野菜を作るたびに親子は悩まされた。いずれの中国野菜にしても、栽培の仕方がよくわからないからだ。日本では誰も作ったことがない野菜ばかりだから当然である。それこそ悪戦苦闘してきたことは容易に想像できる。大学卒業と同時に父と一緒に中国野菜を作るようになった西川も、「かなりのリスクだよね。全滅する恐れがあるわけだから」と振り返る。そんななかで親子はだんだんとその野菜を作るうえでの勘所をつかんでいった。
「どんな野菜も秋に作れば、その特徴はなんとなくわかる。つまり、秋に種をまいて春まで置いておいて、立ちするタイミングを見るんですよ。そうするとまく時期の検討がついてくる。秋にまき、たとえば2月半ばに薹が立てば、春にはまけないなと。あるいは同じく秋にまいて、3月半ばまで薹が立たなければ周年で栽培できるだとか。そうやって感覚をつかんでいった」
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西川圭二 ニシカワケイジ
西川ファーム
代表
1961年、千葉県柏市生まれ。79年に宮崎県にある南九州大学園芸学部を卒業後、実家で農業を始める。東葛飾地域4H(農業青年)クラブ会長。2010年、父から経営を受け継ぐ。千葉県農業指導士として毎年のように研修生を受け入れ、後進の育成にも当たっている。
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