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特集

青果の真のおいしさを追求する都心の小売業


私たちは、生産者がつくってくれたものをお客様にお披露目する係です。それ以上でもそれ以下でもありません。お客様の価値観はさまざまです。同じトマトでも、安いトマトも置けば、希少性の高いトマトも置く。品目の種類の多さという横の幅と、同じ品目でも価格が異なる縦の幅という品ぞろえが大切です。
お客様に、これを買ってくださいと押しつけるのではなく、旬で鮮度の良いもののなかから、欲しいものを選んでくださいとお披露目することが私たちの役割だと思っています。


鈴木 和典
(株)オオゼキ 社長室 室長 1964年生まれ 社歴8年

富田力樹
(株)オオゼキ 下北沢店・青果部チーフ 1982年生まれ 社歴10年

おいしさを伝える目利きの役目を果たす
定松

【仲卸で築いた信用と目利きを小売業で展開】

定松は、祖父の牧松五郎が明治後半の1910年、神田に青果問屋として創業しました。そして、昭和に入ってから築地市場に移り、青果仲卸を始めました。二代目となった父の牧秀夫は53年、定松を築地場外で会社組織にし、その後の高度経済成長の波に乗って業務用仲卸で業績を伸ばしました。
父が業績を大きく伸ばしたのは、どこよりも早く、自動車を使って配達をすることを始めたからです。当時は、買い出しと言って、お客様が築地に足を運んでくださるのが当たり前でしたから、様々なご要望に積極的にお応えしました。
日本料理店、洋食レストランへの納めを中心に、地道に商売を展開し、69年に東京ヒルトンホテルとの取引を皮切りに、都内の一流ホテルや有名レストランとの取引が始まりました。そのことを通じて、“食”に関わるものとしてプロ対プロの真剣なやりとりができるお客様、特に都内の一流ホテルやオーナーシェフと取引ができるようになったことは当社にとって大きなことでした。
また当時、市場に5~6ケースしか出回っていなかった静岡産の温室マスクメロンを毎日1ケース仕入れることができるようになりました。ガラス温室で隔離ベッド栽培した特選メロンです。
このマスクメロンが定松の看板商品となっていきます。定松は、野菜も開業時から扱ってきましたが、果物で業務用仲卸の基盤をつくったといえます。
バブル期は当然、売上も利益も伸びました。どんどん注文が入ってくる時代でした。この時代の大きな流れに乗り、成長してきたことも事実ですが、父は、そういう状況でも若手を“青果のプロ”として育てることに尽力しました。

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