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もちろん、自然のように見えて、自然に放っているわけではない。そうした雰囲気を作りだすのに、関は園内の管理に多大な労力を払っている。それを見せないところが園主の力量である。そうした第一印象を抱いたうえで、関に改めてインタビューしてみると、やはりできる限り自然のまま残すことを大切にしているのだという。
「あちこちの牡丹園や植物園に行ったけど、どこも公園のように感じた。人工的に造成して、ぱっぱと植えてある。うちも以前は砂利を敷いて、人工的にしていたんですよ。でも、いまはなるべく自然のままにしている。こういう牡丹園って珍しいんだよね。自然のなかに花を咲かせていることがみんなに好まれているんじゃないかな」
そんな園内を、関に案内してもらって一通り巡ってみた。6haという広大な敷地には550種類のボタンと215種類のシャクヤクのほか、ツツジやサツキ、アジサイなども植栽している。自然を大切にしているとあって、雑草は可能な限り残しており、もともとこの土地に生えていた木もなるべくそのままにしてある。関は、「ここは人間が中心ではなくて、自然が中心なんです」と語る。
それにしても6haという広さなので、ただ歩いて回るだけでも往復で30分はかかる。おまけに地形にしても自然のまま残そうとしているため、園内は高低差があって、途中で上ったり下ったりしなければならない。来場者は年配の人が多いというが、最後には疲れてしまうだろう。そんなこともあって、休息できる場所として、途中にレストランや茶屋を用意している。
それから園内の道は幅を広く取ってある。どんなに狭くても2m半はあるだろうか。だから、この植物園はカメラマンに人気だそうだ。三脚が立てられるからである。こうした心遣いがうれしい。
ボタンへの愛に目覚める
じつはこの植物園を最初につくったのは関ではない。彼の叔父である。叔父は植物園のすぐ隣で、いまも続いている公園墓地「筑波茎崎霊園」を経営してきた。その隣接地に植物園を開園することに決めたのは、墓参りに訪れる人たちに、せっかく来たついでに、安息の時間を過ごしてもらおうという気持ちからだった。
叔父が数ある植物のなかからボタンを選んだのは、知人の日本画家たちの要望である。日本画家にとってみれば、日本画にとって欠かせないボタンを描くのに、絵筆を握ってゆっくり過ごせる場所がなかったのだ。
この植物園が開園したときに、その運営を関がすぐに引き受けたのかといえば、そんなことはない。じつのところ、関自身は花を愛でる趣味は持ち合わせていなかった。小学校の道徳の授業では花壇の清掃が義務だったが、「大嫌いだった」という。
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関浩一 セキヒロイチ
つくば牡丹園
代表
1960年7月、茨城県明野町(現・筑西市)生まれ。都内の私立大学法学部を卒業後、叔父が経営する不動産会社や霊園で事務職や営業職に携わる。98年に脱サラし、つくば牡丹園を開園。現在は園主としての仕事の傍ら、茨城大学大学院に在学している。
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