ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

自然のままにボタンを育てる「花職人」


ポイントは微生物だけでなく酵素も混ぜていることだ。微生物は枯れ葉や枯れ枝などを分解する際、酵素の働きを借りる。ただ、あらかじめ酵素を混ぜておけば、それぞれの相乗効果で腐食は急速に進む。関によれば、自然界の働きだけに委ねているだけでは、落ち葉や枯れ木が腐食するまでには2~3年はかかる。これでは花を育てることはおぼつかない。それが土壌革命を使えば、わずか42日間で腐食がつくれるようになる。
加えて、関は微生物の働きを促すため、落ち葉や枯れ枝の上に米ぬかをまいている。これに関して関は次のように説明する。
「あまり知られていないことですけど、微生物の働きにリンは欠かせない。この辺りは関東ローム層で赤土なので、固定したリンが豊富にある。それを分解して、微生物が生息できるようになっている。ただし、そのリンを食い尽くせば微生物は動けなくなる。せいぜい2年が限度。だから、米ぬかでリンを補給してあげる必要がある」
そうやってボタンの栽培に打ち込むうちに、いつしか本業と副業は入れ替わっていた。土壌革命が完成するより前の98年、関は意を決する。叔父から植物園を買い取って、「つくば牡丹園」の園主となった。
関は、取材に応じるなかでこれまでの人生を振り返りながら、母親の血を受け継いでいたことを実感したようだ。スポーツに打ち込んだのもそうだし、農業を始めたのもそうだ。母親は農業をしていて、関は子どものころに嫌々ながら手伝わされた思い出があるという。それでも農業を仕事にしたのは、戻るところに戻ってきた感じがしているようだ。関は、「ちゃんと書いておいてくださいよ、とんびの子はとんびだったってね」と言ってきた。

「受け身」から「攻め」に転じる
薬用シャクヤクの販売

脱サラして植物園の園主となってから、年収はサラリーマン時代の3分の1になった。それでも来園者は多く、経営の先行きを楽観していたようだ。
だが、10年も経たないうちに危機が訪れる。2008年のリーマンショックだ。これで来園者が急激に減った。さらに、11年には東日本大震災による原発事故が起き、客足の低迷に拍車をかけた。その影響はいまに至るまで残っており、先行きは不透明だ。
だから関は、「受け身の姿勢から攻めの姿勢に変わらなければいけない」と覚悟している。「受け身」というのは、来園者を待つだけの経営ということ。窮状を打開するには、それに代わって新しいことをしなければならない。そこで取りかかっているのが、薬用シャクヤクの生産とオリジナル堆肥の販売である。

関連記事

powered by weblio