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新・農業経営者ルポ

未来を見る目で顧客満足を追い求める世界で唯一の「梅山豚屋」


エコフィードは、昔のいわゆる残飯養豚とは一線を画し、賞味期限の切れた食品や生産余剰食品(賞味期限内)、規格外品などを、家畜の飼料として有効利用する技術である。一般的に、配合飼料に比べて飼料費が安価に抑えられることがメリットに挙げられる。しかし、塚原にとって魅力的だったのは、100%国内産の原料で飼料をまかなえる可能性があること、また人の食べ物と競合しないという点だった。「これなら日本で養豚をやる価値がある」と思える出会いだったという。
塚原が大学院に入った95年は、畜産においてエコフィードに注目が集まり始めたころである。筑波大学と共同研究する(独)農研機構・畜産草地研究所でもようやくプロジェクトチームが立ち上がった時期で、塚原は研究員らと一緒に懸命に研究に取り組んだ。
また、本業の養豚業でもエコフィードに取り組み始めた。原料として排出されるものは、水分含量が高く、腐敗しやすいものが多い。また、食品メーカーの都合で排出されるため、定時定量望む通り手に入れることができず、原料をストックする必要性もあった。そのため、自社で米用乾燥機を改造し、低温の温風で乾燥させ、豚の嗜好性を落とさず保存性を高める研究も行なった。
順調に乾燥原料を加工できるようになると、近隣の畜産農家の要望に応えて、エコフィードの販売を始めた。このエコフィードの取り組みは苦しい養豚業を支える思いがけない収入源となり、何とか会社が回るようになっていった。

シェフが惚れこむブランドへ

2つ目の転機が訪れたのは01年である。エコフィードで経営は持ち直したものの、生産成績は変わらず芳しくなく、試行錯誤してつくった霜降り豚肉もなかなか評価されない状況が8年続いていた。飲食店に出しても、脂が厚過ぎて大半がクレーム。塚原はくじけそうになりながらも、前職や大学院での経験を通して、「梅山豚で食えるようになるためには、ダイレクトマーケティング、ブランドづくりを丁寧にやるしかない」と、落ち着いて未来を見据えられるようになっていた。
まずは梅山豚とはどういう豚なのかを理解してもらえるよう、説明用の資料をつくり込んだ。また、父が蓄積したノウハウを使い、オーガニックを好む層への産直を広げ、少しずつ売上を伸ばしていった。それでも生産量全体からするとまだ十分な流通量とはいえず、ほとんどが通常の半値以下で取引されていた。
そんな折、国内で初めての牛海綿状脳症(BSE)が確認され、食肉業界に激震が走った。バイヤーは牛肉の代わりになる肉の調達に走り回ることになり、梅山豚はようやくそんなバイヤーたちの目に留まることになる。

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