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GM大豆は本当に収量が落ちるのか
98年に東京ドーム1.2個分の5ha、99年には4.6haほどの面積でモンサントが特許を持つGM大豆を播種して栽培・管理・収穫して当時の大豆取引の主流であった政府絡みの交付金をいただいた。
米国では96年からGMコーンの栽培が始まり、その後GM大豆の普及となった。冬期間ではあるが、その過程を米国で実際に見聞きしていたので、自分でもこのGM技術を北海道の地で実証したくなるのは自然の成り行きだった。
97年の暮れ、ラウンドアップに抵抗性があるGM大豆400kg程度を米国の種子販売店にオーダーし、空いているコンテナの片隅に入れ、正式な検疫を受けて輸入した。
当時は現在と違い簡単なサイン一つで購入可能であったのだ。この種子販売店はモンサントの許可を得てGM大豆を育種開発して販売しているが、契約内容が米国らしかった。
・収穫したGM大豆はすべて販売すること
・収穫されたGM大豆は翌年以降種子に使用しないこと
・除草剤はラウンドアップ、もしくはモンサントが許可したグリホサート(ラウンドアップの化学名)を使用すること
・モンサントの査察を快く受けること
これらが理解できて播種可能となる。なかでも一番ウケたのが最後の項目だった。元官憲上がりのモンサント・ポリスがやってきて、農家のGM大豆の調査をすると聞くが、たぶん最後の項目のことだろう。
ただ罰金の項目については覚えていない。単なる契約の確認だけの作業であり、性善説を前提としたピューリタンの国の契約システムに驚きはなかった。実際にモンサントとトラブルになり、罰金請求まで行った例を現地で聞いてみたが、20年間やってウワサ程度で1名いるかどうかの話だ。
先に述べたとおり、私は98年にはGM大豆を5ha播種した。この土地は沼地を開拓して水田にしたところだ。政府の減反政策もあり70年からコメ以外の畑作に転作することになった農地である。
もともと水田は雑草がいっぱいで、畑に転換しても大豆栽培の天敵である雑草のアカザ、タデの発生には頭を痛めていた。GM大豆を試すにはこの畑が一番であることは違いない。とはいっても、本当にほぼすべての雑草をコントロールできるのか、大豆はすくすく育つのか心配だった。
そこで畑の片隅の一坪程度に、霜の影響がない5月上旬に播種して発芽を待った。発芽して2週間後にラウンドアップを指定された量で希釈して、散布して効果が表れる1週間を観察することにした。
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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