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人生・農業リセット再出発

PPTが天才への道

金槌を手にして生まれてくる大工はいない。どんなプロも最初は素人だ。
“日本を今一度洗濯いたし申し候”は龍馬の言葉だが、実はパクリである。肥後藩の横井小楠に龍馬は三度も熊本「四時軒」で教えを乞うている。聞いた話をそのまま使っているだけで、私は小楠の自宅でたくさんの原文を見た。小楠は越前藩主松平春嶽の顧問として将軍徳川慶喜に「国是七条」を提示している。龍馬が「船中八策」を書いて大政奉還に結びつけたのは有名だが、実はこれも小楠の書いた原案のパクリなのだ。吉田松陰さえも萩から三度も熊本へ足を運び、勝海舟は小楠の教えがなかったら自分はなかったと言い切る。 
 ヒマワリの絵とくればゴッホ。ドビュッシーが作曲で影響を受け、“笛を吹く少年”を描いたマネも同じく、ゴッホも極東の葛飾北斎や安藤広重などの大胆な色使いや影のない世界の浮世絵に大いに影響を受けた。ゴッホのアトリエに浮世絵が架けてあった。ヨーロッパで貴重品だった柿右衛門の磁器は、遠い海の向こうまで運ぶときに丈夫な和紙で包まれ、その包装紙に浮世絵が使われていた。浮世絵を刷るには、絵を描く絵師、板に彫刻する彫師、各色ごとに重ね刷りする刷師が必要だが、重ね刷りするときに数ミリ狂うだけで絵がだめになる。正確に重ねるには基準線の「見当」をつける匠の腕が要だったが、刷り損ないで廃棄するのも多かった。和紙は高価でもったいないから包装紙にはもってこいだった。浮世絵がそう売れるものではなく生活に困窮して春画も作製していた。輸出された日本文化は西洋芸術に大影響を与え、日本人の巨大な男根をデフォルメした歌麿の絵は評判となり、“オ~・ウタマロ~!”の表現は男をたたえる流行語になった。

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