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編集長インタビュー

ニッチに踏み込む独自経営術 農機が新たな産地を作りだした


昆 そうしたなかで中村社長は何を感じていたのですか。
中村 バブル崩壊の尻ぬぐいのような仕事ばかりしていても、やはり面白くないんですよ。だから毎日鬱々としていましたね。結局、そんな雰囲気に耐え切れずに日本生命は2002年春に辞めてしまいました。
昆 それで、なぜミツワに入ったのですか。
中村 日本生命を退社する前に選択肢は二つありました。一つは別の不動産会社に転職するという道。もう一つはミツワ。日本生命を辞める前に、ミツワの創業者である現会長から「うちに来ないか」って声をかけられていたんです。現会長の長女が私の妻で、米国から一時帰国したときに知り合いから紹介されて結婚していました。
昆 経営に興味があったのですか。
中村 ええ、日本生命では海外店舗は独立した現地法人で、その社長をしていましたから、経営をする醍醐味は十分に味わっていたんです。といっても農業はまったくの畑違い、悩みましたね。ただ、投資金融は虚業みたいに感じていました。金を動かしてなんぼの世界ですから。それから不動産の仕事では開発から携わっていたので、ものづくりの面白さも味わっていました。ミツワは、なりは小さくてもユニークなことをしている会社だから面白いかなと。それでミツワへの入社を決めました。
昆 それは何歳ぐらいのときですか。
中村 45歳少し手前でしたか。いま57歳ですから、12年前ですね。

コメになびかずニッチを開拓

昆 このミツワという会社は業界でも特殊な位置にあるでしょう。そのことは理解されていたのですか。
中村 そうですね、この会社がいわゆるコメ専門の農機メーカーなら魅力を感じなかったと思います。珍しい種類の農機を扱っているところに興味を持ちました。私が入社したときにはすでに果樹の授粉機や枝豆の収穫機などの製造・販売をしていましたから。いまでも覚えているのは、日本生命に勤めていたころ米国から一時帰国したときに、ミツワの工場に寄ることがあったんです。現会長である義父がちょっと見てもらいたい農機があるというんです。それが枝豆を収穫するコンバインの試作機でした。義父の話では、いまの市場では誰も買う人はいないのに、営業も開発も売りたいと意気込んでいるが、俺はやめさせたいと思っているんだと。なりは小さいがこんなユニークなことをしているんだという印象を受けましたね。
昆 貴社はそもそもコメの世界から離れて授粉機を造り、その後も柿の皮むきなど非常にユニークなものを扱ってこられた。そうしたマーケットはニッチですが、それを戦略としてやってこられましたよね。

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