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編集長インタビュー

ニッチに踏み込む独自経営術 農機が新たな産地を作りだした


中村 そうですね。じつは現会長はもともと同族企業の小池農機に勤めていたんです。小池農機はクボタやヤンマー、井関と同じ路線、つまり水田農業機械の総合メーカーとしての道を突き進んでいました。それで大手に追いつけ追い越せをやった挙げ句、昭和45年ごろに資金ショートでつぶれてしまったんです。現会長は小池農機が倒産したときに総務部長として倒産劇の苦労を味わい、二度とこんな目に遭いたくないというので、ミツワを興してから独自路線を進むことにしたようです。
昆 いま商売としてのサイズはどのぐらいですか。
中村 いずれの農機も数億円単位で、売り上げでは枝豆関連が一番多いですね。
昆 枝豆の収穫機に関しては追従するメーカーが出てきましたが、いまでもシェアは一番ですか。
中村 ええ、圧倒的ですね。枝豆の収穫機の開発を始めたころは需要も見込めず現会長はすぐにやめようと思っていたみたいですが、やめなくてよかったと思います。製造する技術を捨てなくてよかった。当時なら1、2haで枝豆を作れば大きいほうでしたが、いまでは10~20haという規模が珍しくなくなって、収穫機が必要とされていますから。

米国でも独自の枝豆を作る時代に

昆 枝豆は大規模な生産者となると、どの程度作っているのですか。
中村 100haぐらいでしょうか。大手のスーパーと契約して栽培しているようです。
昆 枝豆関連の市場としては新潟以外のほうが大きいのでしょう?
中村 そうですね。よく言われるのは、黒崎に産地があるから枝豆の機械を造ったんでしょうと。ただ実際はそうではない。枝豆の機械を造った後に周辺で大きな産地ができていったんです。
昆 新潟は茶豆ですが、山形はだだちゃ豆ですね。産地によって枝豆関連の機械は改良しているのですか。
中村 ええ、産地の研究施設と協力しあって改良しています。たとえばかつての黒豆系は姿が大きくて、言ってみれば「木豆」ですよね。あれを機械で収穫して脱穀するのはきつかった。でも産地としても量をこなしたいとなると、どうしても機械作業が必要になってくる。そこで産地は枝豆の姿を小さく作ってもらうようにし、一方でうちは枝豆が多少大きくても収穫できるように改良していきました。互いにそういう努力を10年以上やると機械処理しやすくなりましたね。
昆 伝統的な技法の農家には苦労されましたか。
中村 うちの機械を提案するときに、一番苦労する相手というのは伝統的に栽培してきた農家ですね。ご意見もシビアだし、その意見に応える性能の農機を出すのはなかなか難しい。それに対して、若い人たちはこちらの提案を素直に受け入れてくれますね。産地をこれから作る場所についてもマーケティングがしやすいですね。

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