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ところが、国民の食生活が変わり、コメの消費量が減少してきたことから、コメ余り時代を迎える。やむを得ず昭和45年(1970)から水稲の減反政策を打ち出し、転作を奨励するようになる。自給率の低かった小麦や大豆などの作付けが奨励されて蘇った。小麦の作付けは転作田に限らず、一般畑作でもよかった。
国が保障して買い上げるとなれば、農家は新しい技術を導入して合理化しようとする。ヨーロッパから密条播ドリルとその播種精度を高める表層細砕土、鎮圧型の縦軸ロータリーがセットで入ってくると小麦の収量は戦前の2.5倍に達した。その後、品種改良もあって小麦は増収を続けている。
小麦は砂漠地帯に発達した作物であり、降水量の多い我が国での栽培は無理といわれていたが、乾燥地帯の欧米には劣るとしても、平均収量は500kg台/10aに近づいており、それなりの技術と評価されてよいであろう。
[米価暴落時代を迎えた水稲]
図8は水稲の作付面積と収量推移である。戦前の収量は300kg/10aに達しなかったが、戦後は徐々に増収するとともに、収量の振れはあるが、昭和30年(1955)を過ぎると冷害もなくなってきている。昭和43年(1968)から田植機が普及し始め、土付き苗となって生育は安定する。平成5年(1993)は珍しい冷害年であったが、以後生育は安定し、少しずつ増収して600kg/10a時代を迎えるようになる。開拓期に北海道では水稲栽培は無理といわれたが、農耕民族の執念で寒冷地稲作技術体系を成立させている。
昭和45年(1970)から転作奨励の時代を迎え、北海道米の場合、食味が劣っていたこともあり、減反率は40%以上になった。その後、品種改良の目標を良食味に定めたことから、府県の銘柄米に劣らないコメを世に出して驚かせている。米価が暴落時代を迎えているので、栽培面積が増える兆しがないのは残念である。
[労働時間と農家戸数]
図9は畑作物の労働時間の推移である。機械時代となって、40年の間に労働時間は、甜菜、馬鈴薯、小豆ともに約5分の1に省力化されている。特筆すべき技術改良ともいえるが、国際農業に比較すると満足できるものではなく、より低コスト化を推進しようとすれば、平成10年(1998)の労働時間をさらに2分の1にする必要があろう。
図10は水稲の労働時間の推移である。170時間に及んだかつての労働時間を10分の1の17時間にしており、大きな技術革新の成果といえるが、この場合も国際農業と比較すると決して満足はできない。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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