ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

消費から見た日本農業の可能性


メニューは「抹茶きなこミルク」「ほうじ茶きなこミルク」といった飲み物から、「黒ごまきなこアイス」などのアイスクリームもある。なかでも売れているのは、バナナとミルクの「きなこシェイク」。人気テレビ番組で紹介されてから一気に火がついた。
「きなこ屋」が脚光を浴びたことで、さまざまな食品業者から「うちでもきな粉を使いたい」という声がかかるようになった。たとえば「あずきバー」で有名な井村屋はきな粉アイス用の原料にしたり、コンビニエンスストアのミニストップはカキ氷デザート「はろはろ」にかけたりするのに、山城屋のきな粉を使っている。
一方、食の商品開発やマーチャンダイジングなどを手がける日本アクセスはイタリアンに乾物を使う運動を展開している。乾物に新時代が到来しているようだ。

企業紹介
(株)真田
本 社 京都府宇治市
電 話 075-551-3001
URL http://www.yamashiroya.co.jp/index.html
創 業 1904年
資本金 4,000万円
事業内容 乾物の製造・販売
売 上 26億円(2011年12月績)

Case3
認定農業法人 (株)天心園 山形県西村山郡河北町
伝統文化への本物志向が生んだベニバナ需要

山形県河北町に農場を構える(株)天心園の代表取締役、後藤慶治氏(61)は、サクランボとコメを生産するかたわら、ベニバナを生産・販売している。河北町ではわずかに残っていたベニバナ生産者が次々と手を引き、営利栽培している生産者は、いまでは後藤氏だけになってしまった。その理由のひとつには、ベニバナ生産の難しさがある。長梅雨で根腐れを起こしやすいため収量が安定しない。さらに主要作物のサクランボがベニバナの収穫期と重なる新品種に移行したことが減少に拍車をかけた。
そのようななかにあって、後藤氏はいまベニバナの市場に歴史や伝統を背景とした新たな動きが見られるという。

【ベニバナによる伝統文化と経済の繁栄から衰退へ】

まずベニバナの歴史と市場の変遷を振り返りたい。ベニバナは、いにしえより染料や口紅の原料として重宝されてきた。原産地のエジプトからシルクロードを通って日本に持ち込まれ、飛鳥時代には奈良県を中心に栽培されるようになった。
河北町を含む最上川沿いの地域がベニバナの一大産地に成長したのは室町時代のことである。江戸時代にはベニバナを乗せた船が最上川を下って山形県酒田市に抜け、日本海を渡って福井県敦賀市に上陸し、さらに琵琶湖と淀川を経て京都や大阪に運ばれるという交易が盛んになった。河北町でも「ベニバナ豪農・豪商」と呼ばれる人々が現れるまでにベニバナ交易は隆盛を極めた。山形のベニバナは、紅色や桃色、茜色に染められた着物で当時の京の都をあでやかに彩ったことだろう。一方、帰りの船では雛人形をはじめとする京文化が持ち込まれた。こうしてベニバナは山形や京都の伝統文化や経済を支えてきた。

関連記事

powered by weblio