ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

「農業経営学会」シンポジウムの記事を読んで

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第233回 2015年10月09日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
9月22日付けの日本農業新聞に同紙特別編集委員の山田優氏が、先ごろ開催された農業経営学会を取材した感想を書いている。
「研究者と農業経営者」と見出しを付けた記事の内容と、山田氏がシンポジウムの後で味わったという「とても爽やかな気持ち」も解らんでもない。その分析も間違ってはいない。しかし、記事中にある「日本の農業経営学会の歴史でも画期的なこと」と感慨深げに話していたという南石晃明日本農業経営学会会長のコメントを見て失礼ながら笑ってしまった。
シンポジウムにパネリストとして登場している農業経営者は親しい読者たちもいる。南石学会長はもっと早くこうしたシンポジウムが開かれるべきだったと思っているのかもしれないが、多くの農業経営者たちからすれば「何をいまさら」だろう。
農業の「経営」を名乗る学会は、これまで何を語ってきたのか。コメの生産過剰というより、消費における「欠乏の病理」から「過剰の病理」に人々が悩む時代へというマーケットの大転換が始まって40年以上も経っているのに。
僕はかねて「農業問題の本質とは農業関係者問題」であり、「彼らの居場所作りのために農業問題は創作されてきた」と言ってきた。そして、我が国では農業経済学者や農業経営学を研究する多くの人々も農業界の利害を背負う「農業関係者」の一部をなす。過去の結果に過ぎない現在の利権に執着する彼らに未来を提示することはできないのである。

関連記事

powered by weblio