ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

北海道馬鈴薯でん粉物語

戦争の一方で進んだ工業化と密接な関係にあったでん粉製造

人力が主流だった
大正時代初期のでん粉製造法

大正時代の初期からでん粉製造が増えているといっても、工業が発達していない我が国にあっては、人力によるものが主流である。表1にこの関係を示しているが、人力の占める戸数割合が87.3%であり、家内工業的な色彩が強い。
しかし、上川地方では、馬力や水車の利用が多く、発動機や蒸気機関も使い始めて工業化の先鞭をつけている。この地方は降水量が少なく、日照量が多いことから、良質な馬鈴薯が収穫できることで知られている。鉄道も開通しており、その有利を生かそうと勝負に出たものと考えられる。それだけに大戦後の不況に一転して過剰投資の付けに苦しむことにはなるが、工業化の基礎を作った功績は大きいといえよう。
ここで人力によるでん粉製造の工程例を述べたい。まず、原料馬鈴薯は薯置き場に収容される。ここの底部は格子になっており、付着している土砂が振り落とされる。次いで、馬鈴薯は洗槽に移され、清水を流して洗浄する。これをざるですくい上げ、磨砕ロールの上に投入する。通常、ロールは2人で手回しすることになる。ロールの上から少しずつ水を加えると水が白くなり、1番平通しに移される。ここで滓末(しまつ)とでん粉乳に分けられる。次にでん粉乳は2番平通しに移されると細滓とでん粉乳に分けられ、でん粉乳は沈澱槽に入る。
沈澱槽に入れてから4時間経過したところで上水を抜いた後、沈澱したでん粉に清水を加え、撹拌して4時間沈澱させる。先と同じように水を抜くが、表層部を別にして目の細い丸篩を通して2番粉とする。沈澱しているでん粉は板析に取り、棚に挿入して乾燥させる。乾燥したでん粉を粉砕機にかけ、仕上篩を通して製品とする。
動力化すると、工程の高度化で高品質なでん粉が製造されるようになる。省力化され、収益性も高まる。でん粉製造例を表2~6に示しておく。

戦争の恩恵で発達した工業化は
洋式農機具の国産化に通じる

日清戦争や日露戦争を通じて工業が発達すると、鋼材の入手も容易になり、輸入農機具の国産化も可能になる。馬匹も改良されて扱いやすくなっていれば、農家は動力源にも不自由しない。開墾面積が拡大して人力だけでは対応が困難となってきているので、どうしても畜力機械を導入しなければならない事情もあった。大正初期に各地に機械鍛冶屋が誕生し、洋式農機具の製造に取り組むようになった。

関連記事

powered by weblio