ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

成田重行流地域開発の戦略学

大島と緑の真珠


海はいのちのみなもと
波はいのちのかがやき
大島よ
永遠に緑の真珠であれ

この詩にある「緑の真珠」について、成田さんは「豊穣さを表す言葉だと解釈している」と話す。同様に、気仙沼で養殖業に従事してきた京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授の畠山重篤さんは「森は海の恋人」と主張してきた。森の滋味分が川を通じて海に流れ込んでプランクトン(浮遊生物)を育て、さらにはプランクトンが魚介類の餌となって豊富な漁場を生み出しているのだ。そのことを熟知している大島の漁師たちはみな、昔から山に木々を植えてきた。
ホテルから眺望していると、この町が再建中であることもよくわかる。道路や建物、防波堤などは真新しかったり、工事中だったりする。震災前、この辺り一帯は水産加工場がずらりと並んでいたそうだ。何しろ震災前には年間10万tを超える水揚げ高を誇ってきた漁港である。水産加工場では、水揚げされたばかりの魚を開きにしたり、缶詰にしたりしてきた。

「気仙沼ちゃん」と
仲間たち

ホテルからの眺望をひととおり楽しんだところで、再び港に向かった。そこで私たちが乗り込んだのは大島との間を毎日16往復するという定期船。大きな船に人やトラックなどが次々に飲み込まれていく。客室に入ると、すぐ後から団体が乗り込んできて、私たちの近くに座った。動き出した船内で何とはなしにその話を聞いていると、「津波はあの山のあの辺りまで達した」「ずいぶんと元に戻ってきたよね」などと口にしている。
大島には15分ほどで着いた。そこで出迎えてくれたのは成田さんの古い友人である水上俊光さん。細身の身体と優しい笑顔からは想像できないが、魚を追って世界を駆け巡ってきた現役の漁師である。光っているきれいな眼が印象的だ。
水上さんの運転で向かった先は、初日の宿泊場所である民宿「アインス くりこ」。大島で最も人気の宿である。なぜかといえば「気仙沼ちゃん」が夫婦で経営している民宿だからだ。
年配の方ならご存じだろう。気仙沼ちゃんは1970年代後半にコメディアン萩本欽一の番組で活躍した元アイドル。インターネットで調べると、アイドル時代には東北弁とその明るさで人気を博したというが、いまもそれは変わらない。類は友を呼ぶではないが、従業員たちもさわやかな風が吹き抜けるような人たちばかりである。宿名の「アインス」はドイツ語で「お客様が一番」の意味だそうだ。その言葉どおり、ここに滞在すれば、これ以上はない親密で温かいもてなしを受けられる。そんな接客をしてくれる気仙沼ちゃんや宿の人たちに会いたくて、民宿には県内外からいろいろな人たちが訪ねてくる。

関連記事

powered by weblio