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成田重行流地域開発の戦略学

大島と緑の真珠(3)小さい人が勝てるものをつくりたい


時化とは悪天候のため海上が荒れること。間近に迫った大津波には逃げずに、向かっていくべきだと覚悟した。驚くべきことに、菅原さんは巨大な壁と化した津波に「ひまわり」で接近し、それに乗り上がり、さらには突き抜けたのだ。
やがて沖から戻ってきた菅原さんの目に映ったのは、当初予想したとおりの惨状だった。大島と本土を結ぶ定期船に加え、漁船も一様に行方不明になったり大破したりしていた。その結果、大震災からしばらくの間は「ひまわり」だけが本土とを結ぶ頼みの綱となった。

島民の間でも賛否両論 
架橋は復興のシンボルか

大震災が島民に改めて突きつけたのは、離島は孤島になりうるという現実である。孤島とは、生活必需品が底を突いても、島外から支援がやってこないことを意味する。
たとえば水の問題。大島は本土から海底送水管で水を引いている。それが大震災によって海底送水管が壊れ、途端に水不足に陥った。困った島民たちは小学校のプールに貯めていた水を浄化して、飲料に使ったそうだ。
大震災は島民に架橋の必要性を痛感させた。大島と本土を結ぶ橋の施工計画は震災前には構想段階だった。それが震災後に事業化され、2020年に竣工予定である。
施工主の宮城県は架橋を「復興のシンボル」と位置づけている。ただしその実現は、同時に本土の考え方や論理に取り込まれる可能性が高まることをも意味する。それゆえに島民の間ではいまだに賛否両論がある。元アイドル「気仙沼ちゃん」こと、白幡美千子さんは架橋を不安視する一人だ。
「大島に来るには船に乗らなければならない。でも、不便だからこそ遊びに来てくれた人たちは多いと思うの。橋がかかって本土に近くなってしまえば、観光するのは日帰りでもよくなるでしょ。そうしたら宿泊客は減って、旅館業は衰退し、なおさら過疎化になるんじゃないかな」
もちろん気仙沼市は新たな誘客産業の創出を計画している。現段階で浮上しているのは、船着場の近くに大型物産館を造るというものだ。ただ、成田さんはお仕着せの地域開発には反対である。
「どこにでもあるようなことをやってしまえば、大きい資本や大きい設備を持っている人が勝つんですよ。小さい人は負けてしまうんです。大島ではそうではなくて、小さい人が勝てるものをつくりたい。そういうものでないと意味がない」

そこに暮らす人だけが
物事を動かす

では、大島のどこに小さい人が勝つものが隠されているのか。地域プロデューサーとしての成田さんはその所在に気づいている。ただ、答えを披瀝することはない。あくまでも島民たちが自発的に探し始めるのを待っている。「答えをしゃべったところで、島の人々が受け入れる体制になっていないと駄目」だからだ。

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