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一方の明治乳業は欧米の酪農スタイルからヒントを得て、「有機酪農」構想を打ち立てていた。牛のふん尿処理など環境に配慮した新しい酪農を支援したいとの思いから、一緒に挑戦してくれる生産地を探していたのだ。そして、全道トップクラスの乳質を誇り、環境保全の意識が高かった津別の酪農家に声をかけ、タッグを組むこととなる。
挑戦を続けられたのは
わずか5軒だけ
石川が関わり始めたのは、30歳のころである。経営委譲を受けたタイミングが、まさに町内で有機酪農への取り組みを始めようという時期と重なった。地元の酪農家の先輩方と新しい酪農の形をつくるチャンスが舞い込んだのだ。
酪農を営む両親のもと、姉と妹の3人きょうだいの長男として生まれた石川は、家業を継ぐことに迷いはなかった。地元の農業高校を卒業すると、北海道大樹(たいき)町で1年間の研修を受けた後、20歳でカナダに渡った。就農前に、海外の様子を肌で感じておきたかったためだ。
折しも90年に日本経済はバブルが崩壊。10カ月の実習を終えてカナダから帰国した石川が就農した時期は、乳価が低迷し、津別町の酪農が最も厳しかったという。ところが幸い、石川ファームは苦しい経営状態に陥らずに済んでいた。精力的に着実に経営を進める父を見ながら、畑仕事に牛の世話にと、石川も仕事を徐々に覚えた。就農当時13haだった所有農地は、購入したり借りたりするなかで徐々に拡大した。
その父から経営を譲り受けた直後に始まったのが、有機酪農の取り組みだ。もちろん、試行錯誤の連続だった。有機栽培1年目、当時の会長である山田照夫の圃場で作付けしたデントコーンは腰の高さまでしか成長しなかった。収量にして約3分の1。化学肥料も農薬も使わずにトウモロコシと牧草を生産することは難しいと一同でうなった。
翌2年目は当時参加していた21軒がそれぞれの圃場で試験栽培を行なったが、地力や条件により生育に差が出た。21軒のうち3年目の試験栽培を行なったのは、わずか8軒。
除草剤の代わりにカルチベーターを導入してみたが、タイミングが悪ければ除草効果を得られず、適度な作業回数とそのタイミングを会得するのに苦労した。それでもメンバーらは、有機栽培で使用を認められている資材を片っ端から、高価なものでもとりあえず試した。4年目になると、メンバーらは経験を重ね、慣行栽培と比較しても同等の収量を確保できるようになっていた。そこに至るまで、試験研究機関や行政もさまざまな協力の手を差し伸べた。
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石川賢一 イシカワケンイチ
津別町有機酪農研究会 会長
石川ファーム 代表
1970年、北海道津別町生まれ。地元の農業高校を卒業後、大樹町で1年間研修、カナダでの10カ月実習を経て、石川ファームに就農。1999年、父が60歳になったのを機に30歳で経営委譲。同年、町内の有志で立ち上げた有機酪農研究会に参画。副会長を経て、現在は会長を務める。石川ファームの経営概要は、秋小麦10ha、経産牛43頭(1頭当たり平均乳量8,500?9,000kg/年)、放牧地10ha、採草地35ha、デントコーン15ha(そのうちイアコーンは3ha)。
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