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作は現役時代から何度も、さらなる基盤整備を進めることを地域に呼びかけてきた。しかし、初代の入植当時10戸あった農家のうち、現在も農業を続けているのは5戸にすぎない。後継者も育っていないのだ。農業で成功し、しかもトヨタのお膝元としてその恩恵を享受してきた地域。それが、豊かであるがゆえの未来の危うさなのである。
同地に鍬を下ろした西山家の初代忠雄は、現在の場所から2里(8km)ほど離れたところにある、遠州灘に面した半農半漁の部落からの入植だった。海岸にへばりつくような土地で、人々は隣の畦を削ってわずかな畑を広げるようなことをする貧しさだったという。
そこに育った忠雄が開拓地への入植を村人に告げると、誰もが笑ったそうだ。貧しいながらも生きていける暮らしにしがみつき、開拓によって自らの未来を創り出していこうという人々ではなかったのだろう。弥栄集落に入植した人の多くは、現在の安城市などの農家の次三男であり、新宅を構える以外生きる道のない人だった。忠雄は西山家の当主としてとりあえず暮らせる術は持っていたが、あえて自ら退路を断ち、一家を挙げてこの地に入植したのである。購入した約7haの原野は傾斜がきつく、すべてが農地になるわけではなかったが、自ら開墾して少しずつ耕地を広げていった。
最初の2年間は旧宅から通い、やがて水も電気もないこの場所に最初の家を建てた。それは小屋というべきものだった。西山家の農業経営としての成長は二代目である作の時代に大きく進んだものである。それは、渥美の力強い農業発展とともにあった。
そして、すでに西山に家督を譲った作が、同家を辞する筆者に挨拶しながら、
「受け継がせたいのは、誇りごとだよね」 そう言って西山直司の顔を見た。
(文中敬称略)
同地に鍬を下ろした西山家の初代忠雄は、現在の場所から2里(8km)ほど離れたところにある、遠州灘に面した半農半漁の部落からの入植だった。海岸にへばりつくような土地で、人々は隣の畦を削ってわずかな畑を広げるようなことをする貧しさだったという。
そこに育った忠雄が開拓地への入植を村人に告げると、誰もが笑ったそうだ。貧しいながらも生きていける暮らしにしがみつき、開拓によって自らの未来を創り出していこうという人々ではなかったのだろう。弥栄集落に入植した人の多くは、現在の安城市などの農家の次三男であり、新宅を構える以外生きる道のない人だった。忠雄は西山家の当主としてとりあえず暮らせる術は持っていたが、あえて自ら退路を断ち、一家を挙げてこの地に入植したのである。購入した約7haの原野は傾斜がきつく、すべてが農地になるわけではなかったが、自ら開墾して少しずつ耕地を広げていった。
最初の2年間は旧宅から通い、やがて水も電気もないこの場所に最初の家を建てた。それは小屋というべきものだった。西山家の農業経営としての成長は二代目である作の時代に大きく進んだものである。それは、渥美の力強い農業発展とともにあった。
そして、すでに西山に家督を譲った作が、同家を辞する筆者に挨拶しながら、
「受け継がせたいのは、誇りごとだよね」 そう言って西山直司の顔を見た。
(文中敬称略)
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西山直司 ニシヤマナオシ
西山農園
代表
1962年、愛知県田原町(現田原市)生まれ。県立渥美農業高校を経て静岡大学農学部へ進学。実践的な農業技術や知識を身につける一方、開拓者の生き方にリスペクトを感じ、その軌跡を学ぶ。大学卒業後、実家の農業経営を継承。現在、4.6haの農地でダイコン、スイカなどを生産する。
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