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人生・農業リセット再出発

Boys, be ambitious!

270年近く続いた江戸幕府が終わった1868年の明治維新、それは武士の大量失業を意味した。ペリーの黒船来航後に米国が日本に圧力をかけなかったのは、戦死者62万人を出すリンカーン奴隷解放の南北戦争が勃発したからである。
この米国の内乱に理想に燃えて義勇兵として参戦した34歳の青年がいた。マサチューセッツの裕福な医師の家に生まれて全米屈指の大学に入学し、26歳の若さで教授に抜擢され、化学・植物学・動物学を受け持つ凄腕の先生として名声を得る。祖国の危機に戦場に赴くが、教え子たちが次々に銃弾に倒れていく。戦後は荒れ果てた国土だけが残った。若者に農業を教えよう! 40歳の彼は農業大学を設立して学長になる。当時まだ酪農は最先端の農業分野だった。欧米でも初めて牛乳を飲むようになったのは実はこのころからである。
軌道に乗ってきたころ、日本から使者がやってきて、2年で酪農専門家を育ててくれ! 江戸幕府と維新派の内乱である戊辰戦争直後の日本は衰退し、復興させないと明日がない、開拓地の北海道で若者を育てたいと必死の願いが届いたのである。学長が席を空けるのに2年は長すぎる、遠い未開の日本は危険だなどと米国の大学では大反対される。だが、同じ内戦後で立ち上がろうと必死に努力している日本、1年で終わらせて必ず帰国するから!と説得、妻と子どもたちを残して、単身日本へ向かう。1876年、札幌農学校の教頭に就任した49歳のWilliam Clarkである。

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