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北海道馬鈴薯でん粉物語

トラクター営農時代を迎えての馬鈴薯栽培に関する農業機械の開発改良技術 整畦培土機


表1は慣行培土と整畦培土の栽培成績を示したものである。それなりの成果といえよう。整畦培土機が発売されてから、ブームになって普及したが、これは慣行法に比べ畦の断面積が20%以上増えて、この根圏域の拡大が増収をもたらしたことによるといえる。整畦するので仕上がりがきれいであり、潔癖な日本人の感性を満足させているとする見方もあるが、それだけのことではブームは呼ばない。畦が大きくなることで、地表に露出して緑化イモになってしまうことが少なくなったとか、塊茎の肥大が比較的素直であるとか、排水性が良好になって収穫時の土壌の付着が少ないなども整畦培土に好感を寄せる要因になったと思える。
参考までに当時検討していた栽植様式について述べてみる。豆類、甜菜が2尺2寸(66cm)の条間であるので、これに統一できないかとされた。条間を変えても播種イモ数が同じであると収量には差がないが、塊茎の肥大や品質に差が見られ、少なくとも2尺2寸には統一できないとされた。条間は広げればよいというものでもなく、妥当なところを探し出さなければならない。北海道の気象条件、土壌条件から勘案すると、収量、品質面からも2尺5寸(75 cm)がよいとされた。これはトラクターの大きさからも納得できるものであった。管理作業や収穫作業で、タイヤの踏圧面に無理があるとする意見もあったが、許容できる範囲とされて今日に至っている。
前述のとおり、清里町の普及所からの要請で整畦培土機の開発に取り組んだが、このとき2社の協力を得た。一社は、培土プラウと整畦部を分離した構造で、培土の形状を調節できるものであった。もう一社は、不特定多数の農家の利用を考慮し、一体型として標準化したものを打ち出した(写真10)。
当時、北海道澱粉工業協会の依頼で施肥位置の現地試験を行なっていたが、それに合わせる協力を得て、全道5カ所で試験区を設けることができた。幅広い農家の助言があり、割合と早く一つの型にまとめられたのは幸いであった。後者は、カルチベーターの生産を主力にするメーカーであったので、技術の蓄積もあり、これも見事な形に仕上げた。整畦培土機は我が国独自のものであり、世界に類を見ない。これも世界に誇ってよい技術と評価できる。
トラクターの普及とともに培土プラウも種々改良を加え、以前よりかなり高度なものとなっていた。ボトムプラウに似た曲面にしているので、けん引抵抗も少なく、反転しながらすき込むようにして培土することから、雑草の抑制にも効果的と評判であった。当時、専門家は培土量、培土の形状に満足できず、「三角培土」とか「富士山培土」と呼んで、改善を要望し始めていた時期である(写真11・12)。二社が開発にかかわっていたこともあり、一気にその不満を解消してしまった。時代は常に進歩を求めるもので、その期待に応えることができてよかったと考えている(図3、表2)。

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