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新・農業経営者ルポ

クリとともに55年、苦節40年の“作り屋”秘話

頑固だが、生産物の出来には自信がある。しかし、報われない。最終的には花開くものの、それは本人が還暦を迎えてからのことだった。この努力と忍耐のストーリーを届けたい。 文・撮影/永井佳史
神戸から北に40kmほど車を走らせたところに農林水産省直轄の大川瀬ダムがある。農地かんがいを主目的に建設され、1992年に完成した。このダムの北西部に面した地点でクリとウメの果樹園を営む小仲教示の元を訪ねたのは4月中旬のこと。自宅に到着すると、まずは小仲が運転する軽トラックに乗り換え、園地を案内してもらった――。
1941年生まれの小仲は御年74歳になる。定時制の農業高校を卒業後、家業に就く。所有する山林をテラス状に造成し、クリとウメの生産を始めた時期でもあり、冬場は山仕事に励んだ。また、水稲のほか、7、8頭規模の繁殖牛の飼養を手がけ、一家10人の大家族を養う一端を担った。
20歳になると早くも経営移譲が行なわれる。父に呼ばれると、机上には通帳と印鑑が置かれていた。
「あしたから好きなようにせえ」
クリとウメは収穫期が分散しており、都合がいい。ただ、それだけでは不十分と判断するや、春作のハクサイやダイコンなどの野菜作に着手して家計の足しにした。一方で、生き物を飼うのは性に合わないという理由で、しばらくして手を引いている。
その後、園地を拡大してクリとウメを増産してきたが、農協への出荷では満足できるような値段にならなかった。20代半ばに農協の観光旅行で目の当たりにした、茨城や千葉の平坦な土地に開けたクリ園は、小仲にさらなる危機感を植え付けた。

打つべき手を打つ

「ホーホケキョ」
どこからともなくうぐいすの美しい鳴き声が聞こえる。
園地の外周は農道として整備されていた。これなら作業機がどこからでも出入りできる。
この園地は73年に入植してきた場所になる。大川瀬ダムを眼下に見下ろす高台に自宅があり、南と北にクリ園、道路を挟んで向かい側に梅園が広がる。クリ園には、低い樹が牧草の上に整然と立ち並んでいた。
「この園地(自宅の南)は私が剪定しています。品種別に植えていて、銀寄と筑波、低い谷の先にあるのは石鎚ですね。もう一方は息子の正章が担当しています。全部で10品種ありますけど、昔から収穫も出荷も品種ごとです」

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