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新・農業経営者ルポ

クリとともに55年、苦節40年の“作り屋”秘話



次代につなぐささやかな抵抗

全収穫量の残り3割のうち、3Lと4Lは地元市場へ、裂果は地元の栗おこわ店へ出荷し、Mは自家焼き栗用として、また一部宅配も行なう。そのうち、焼き栗はクリの収穫シーズンでもある9月下旬から地元の農産物直売所に出向き、妻の知加代と一緒に店頭販売している。
「クリは調理が大変なので、生からはなかなか買ってくれません。少々高くても、モンブランや焼き栗を年に1、2回食べればいいという感じでしょう。でも、そこで使われているクリは国産でないことが多いんです。時代の流れはそうなんですけど、そこをささやかな抵抗で、土日は直売所でクリを焼いています。『おっちゃん、ケチやな』と言われても試食は置きません。ターゲットはお子さんで、クリの本当の味を刷り込んでいくことを重視しています。最近の若い奥さんやお子さんはクリを焼いたあのにおいの正体を知らないなんてことがあるんですけど、いい香りがしますのでそれにつられて店頭まで来るわけです。買ってくれたお子さんには2、3個くらいおまけしてあげます。『おっちゃん、かなわんわ。子どもをだしにして』みたいなことを奥さんから言われますけど、こうなればしめたものです。いつかまた買いに来ていただけることもあるでしょう。こんなふうに将来大人になって親になるお子さんにいかにクリの本物の味を刷り込んでいくかを考えています」
こうした消費者との交流はじつは75、6年にもあった。それは一部で展開していた観光農園でのことだったが、わずか2年で撤退している。
「まだ親父が元気だったころ、やったものなんですけどね。お客さんにクリの樹をたびたび折られたんです。それに腹を立てた私が『料金は返すから帰ってくれ』というようなことがありました。観光農園を行なうには自分の頭を180度切り替えなければなりません。だから、私は“作り屋”を選びました」
小仲が作り屋に徹したからこそいまがあるのだと思う。正章がホームページを開設したことがきっかけで経営は軌道に乗ったが、それも元をただせば小仲がしっかりクリを生産してきたからだ。作ることと売ることの両輪が回り、さらに正章という後継者も育てた。正章はいう。
「自分は農業をやることを強制されていません。親の姿を見て、いろんな仕事のなかで一つの選択肢として対等に選びました。自分も一つの仕事として、農業を子どもに選んでもらえるようにしないといけないと思っています」

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