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編集長インタビュー

プレミアム新時代 コミュニケーションが付加価値をつくりだす

かつてのぜいたくという意味から変化しているプレミアム商品。福島屋は自然栽培の農産物やその加工品などをはじめ、いわゆるプレミアムを扱っている。その福島会長が感じているマーケットの変化について聞いた。国産というプレミアムマーケットは成り立つのだろうか。(文/平井ゆか)
昆 ここに、国民1人1日当たりの摂取カロリーの推移のグラフがあるのですが、私は農業マーケットの変化を考えるときに、これをもとに考えています。1971年がピークでそれ以降は下がっていき、終戦の翌年1946年と2004年がほぼ同じになっています。1971年を境に欠乏の社会から過剰の社会に変わったわけです。
福島 これは衝撃的ですね。
昆 過剰になった後も欠乏の時代と同じ農業や農産物のマーケティングをやっているので、農業は変わらなければならない、農業は食べる人のためにあると言ってきました。
福島 私もそのことはよく話します。私たちの仕事は、戦後すぐの状態とは違うと。当時はモノがないので確保するほうが大事で、質はさほど追求しない時代でしたから。
昆 『2020AIM』を創刊した流通ジャーナリストの緒方知行さんから、「人はかつて胃袋で食べていたが、やがて舌で食べるようになって、それがやがて目で、やがて脳で食べるようになっていった」と聞きました。いまでは幻想で食べているということですね。
福島 おっしゃるとおりです。だんだん、舌で、目で、頭でということになっていると思います。
昆 企業もそういった変化をわかっていながら、安いほうがよいというところにしか答えを求めようとしなかった結果がデフレ競争なのでしょう。そのなかでお客様満足を追求している貴社の店舗は盛況ですよね。まずはプレミアム商品を提供するに至った経緯を教えてください。
福島 スーパーマーケットの業態で始めたのは1980年ごろです。それまでは酒屋でした。
昆 お父様が酒屋さんをされていたんですか。
福島 はい。両親が羽村市でよろず屋をやっていましたが、父が病弱だったので私が家業を継ぎました。当時、酒屋の免許があるのはステータスだったので、大学2年のときに免許を取りました。卒業後に酒屋をやって、コンビニをやって、八百屋も少し経験してから一般的なスーパーマーケットと呼ばれるものを始めました。
昆 それが羽村店ですね。
福島 そうです。我々も、周りから影響を受けてスーパーマーケットはこうだという概念で入りました。青果売り場はこう、肉売り場はこう、お醤油とか卵とかを安売りして、チラシを打つといったように。当時は、卵1パック50円を時間限定で販売してお客様を並ばせたりするような過激な販売方法が流行っていた時代です。どうもそれは違うと感じて、2~3年でチラシはやめました。周りは量を売ることに力を入れていましたが、私は食べることの大切さとか、素材の良し悪しとかを自分なりに考えるようになりました。

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