ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

新規就農ではなく、農業での起業です

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第241回 2016年06月02日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ

そして1年半前に退職。東京と三島のレストランのオーナーシェフ二人に自分の夢を語り、最初の顧客になってもらった。すでに二人の専従スタッフを雇い、創業初年度の売り上げは約1000万円。今年は2000万円超えを目指している。
まだ退職金で食いつないでいる部分もある。彼はモノとしての野菜ではなく、野菜やお客さんを巻き込んでの野菜作りを通したコトを売る。最初の2軒の顧客やfacebookを通して、すでにレストランが50軒、個人顧客が66人になっている。
以前にも書いたが、僕は「就農」とか「担い手」とかいう農業界特有の言葉が嫌いだ。いまだに貧しい農民・農村というイメージのまま誇りなく政治にしがみつく農業界だからこそそんな言葉づかいを続けるのだろう。
そもそも「就工」だとか「就商」なんて言葉は聞いたことがない。ましてや「新規就農」。この時代に報いの少ない汚れ仕事をあえて選ぶ奇特な若者というイメージを作り上げ、そこにも年間150万円なんていうお手当まで出す制度があったりする。でも、僕はその制度は新規に起業しようとする者を甘やかし、情けない経営者を育てることになるのではと危惧する。どんな起業も大多数の者は失敗して廃業あるいは出直すことになる。それが当たり前のことなのだ。
かつて農業とは人々の暮らし方だった。もうそれが成り立つ時代ではない。また、それを政治的・行政的に無理やり保護したとしてもうまくはいかないのである。農業界では新規に農業をすることがいかにも大変であるかのように語り、だからそれに取り組む者に保護が必要であるという。そんなことは農業に限った話ではない。
この二人に共通するのは、コンセプト・顧客・戦略を定めた事業計画を立てる才覚があるということだ。もうこれ以上農業・農家を甘やかす政策はやめにしよう。

関連記事

powered by weblio