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成田重行流地域開発の戦略学

危機は好機(上)


埋もれていた資源が
経済を生み出した

成田さんがルートづくりのために行なったそうした取材は、結果的に地域の人たちにとっては自分たちの足元を見つめなおすきっかけになったそうだ。当時、神岡町交流産業課長として携わった中田秀夫さん(65)は振り返る。
「それまではなんでもない町だったけど、みんな成田先生から話を聞いているうちに、いい町なんだと思い直しました」
成田さんは船坂町長や中田さんらと道路に座り込んで、地図を見ながら、名人の意見を参考にしてルートをつくっていった。
この企画は見事にヒットした。土日ともなれば1回当たりバスが30台やってきたという。もちろん当初の狙いだった年間通して観光客が絶えないということも実現できた。この「飛騨流葉カントリーウォーク」が完成して2年目には、一般社団法人日本ウォーキング協会の推奨コースにも組み入れられ、より一層全国に神岡町の名が知られるようになった。
このヒットを機に、冒頭に紹介した水屋をめぐる「船津の街タウンウォーク」や「夏山冬里のんびりウォーク」といった別のコースもつくっていった。各集落はガイド役を配置し、ウォーキングの観光客に見どころを案内することになった。
肝心なのは、一連のウォーキングコースをめぐる事業はすべて経済性を前提にしていることである。つまり、観光収入の見込みをベースに、ガイド役にその対価を支払える仕組みにしたのだ。住民たちがまったく気づいていなかった、あるいは価値を感じていなかった地域の資源が経済を生み出したのである。

自らかかわっているから
愛着もわく

観光客の増加がもたらすものは経済効果だけではない。自ら積極的に地域開発に携わる人たちにとってみれば、新しい風が吹くことは心の窓を大きく開くものである。
たとえば地域にいる名人たちの上を行く強者が都会からやってきて、花や鳥、虫についてより深い知識を教えてくれる。そうなると名人たちは図書館に通い、強者に教わった情報を再確認しながら、ガイド役としての技量を磨いていくのである。「みんな普通の人でしたけど、成田先生や都会の人たちに磨きをかけてもらった感じですね」と中田さん。
今回神岡町を訪れた際、ひときわ目を引かれたのはこうしたコースの脇や畦際にある花々である。辺りの新緑に美しく映える芝桜からは、その手入れをしている人たちの柔らかな心が伝わってくる。
私は取材で全国を回るなか、町の雰囲気というのはその土地の人の心を表しているのだと認識するようになった。そういう意味で神岡町は当初思っていた雰囲気とは違っていた。炭鉱のイメージが強いから、どうしても荒々しい町を想像していたが、むしろ人の心に穏やかさを感じた。

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