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成田重行流地域開発の戦略学

危機は好機(下)


高速道路の計画が持ち上がってから、三島さんは有志の仲間たちと、すでに高速道路の工事が完了してしばらく経っていた富山県のある町に出かけたことがある。そこで商工会議所の関係者たちに会い、見聞きしたことは近い将来の荘川町だった。どの店も閑散とし、観光客どころか町民の姿さえまるで見かけない。三島さんはぞっとした。それと同時に「すぐにモノづくりと人づくりを進めていかないといけない」と覚悟したそうだ。
だから三島さんは自分の店でソバ打ちの道場も開き、多くの弟子を輩出してきた。そうした人材は飛騨地域でソバ屋を開業している。それと同時に三島さんの店が繁盛しているのに触発され、荘川町でソバ屋を開店する人も出てきた。面白いのはそれらの店のいくつかを訪ねたところ、どこでもテーブルに塩を置いていることだ。これはざるソバにかけて食べるためで、成田さんが勧めるソバの楽しみ方のひとつ。飛騨地域のソバは成田流なのだ。
そうした店はいずれも地粉を使っている。だから荘川町だけでソバの栽培面積は45haにまで達したそうだ。ちなみに三島さんも自分でソバ畑を持ち、今年は前年の倍の5haまで広げるつもりにしている。
そもそも飛騨地域といえばソバではなくうどんの文化圏であった。あるいは「ソバ」といえば中華ソバのことだった。それがいまではどこに行っても日本ソバの店を見かける。しかもそのほとんどは地粉を使っている。
これは船坂さんの県職員時代の仕事。成田さんと組んで、飛騨地域の各地でソバの産地化を図ってきたのだ。各地で採れるソバにはそれぞれ名前が付けられた。いまでは「山之村(やまのむら)そば」「流葉切雲(ながれはきりも)そば」「万波(まんなみ)そば」「信包(のぶかわ)そば」「数河(すごう)そば」「朝霧そば」という6つのブランドができている。店が繁盛するから、ソバづくりも広がってきている。
そうやって一つひとつの地域に誕生していったオンリーワンのソバたちはやがてつながりを持つようになった。それぞれの地域は毎年そば祭りを開いている。なかでも全地域が一堂に集結する「飛騨そば祭り」は、10月の最後の土・日曜日に飛騨市古川町の「まつり広場」で開催されて10年になる。地元以外からも大勢の観光客を集めるほどの盛況ぶりだ。生産農家たちが中心となってテントを設営し、自慢の地粉で手打ちそばをふるまう。どれだけ観光客を呼べるかその腕を競い合うのだ。

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