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【我が国の米政策はなぜこうなったのか】
需給調整の主体は誰か、いまだ続く「が・も」論争
- 編集部
- 第1回 2016年07月06日
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「が」が「も」に訂正された
政府・自民党が交わした念書
昆吉則(本誌編集長) 針原さんは米政策の立案に長年携わってこられたわけですが、農水省で最初にかかわったのはいつですか。
針原寿朗(前農林水産審議官) 水産庁、林野庁で勤務した後の入省5年目、1985年1月に農蚕園芸局(注:現在の政策統括部門)企画課に異動し、減反政策担当の総務係長になったのが最初です。もともと高校生のときに減反政策を廃止しなければいけないと一念発起して高校3年生になってから文系に転向し、農水官僚になるために東大法学部に入りました。まだ課全体の下働きが主な仕事でしたが、初めての農業担当が減反(転作)というのは巡り合わせだったのかもしれません。
昆 初志貫徹ですね。その翌86(昭和61)年に、農水省が生産者米価の引き下げに失敗するという“事件”が起きた。今回は樫原さんが持ってきてくれた貴重な歴史の資料(62ページ参照)があるので、この事件を中心にお二人に話を聞きたいと思います。
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