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成田重行流地域開発の戦略学

熊野街道を活かす 三重県尾鷲市

紀伊半島の南東部に位置する三重県尾鷲市。成田重行さんは2003年からこの地に入り、前号までの舞台だった岐阜県飛騨市と同じ手法で特産品や観光ルートの開発に乗り出していった。それに参加した人々や場所はいまどうなっているのか、成田さんと一緒に訪ねた。 文・写真/窪田新之助
かつて三重県鳥羽市出身の歌手にインタビューをしたことがある。そのときの話でひとつ覚えているのは、自らの出身地を「陸の孤島」と表現したことだ。交通がひどく不便ななか、日々学校に長い時間をかけて歩いて通う苦労を聞き、ずいぶんと大変な場所で育ったのだと感じた。
今回の舞台である尾鷲市を訪れるにあたってこの話を思い出した。なぜといって、尾鷲市は鳥羽市のさらに南にあるのだ。改めて地図でその位置を確かめてみて、東京からの旅程の長さを想像してやや圧倒された。

突如脚光を浴びた
絶景の地「大岩」

成田さんとその尾鷲市に向かったのは7月半ば。名古屋駅を出発した列車は松阪市を過ぎたあたりから、延々と山間地を分け入るようにどこまでも突き進んでいく。やがて3時間ほども経った昼過ぎ、ようやくJR尾鷲駅に到着した。
駅舎を出てみると、梅雨明けしたことを感じさせる気持ちのいい青空が広がっていた。駅舎から左手を向いた先に、小高い山が居座っているのが見えている。天狗倉(てんぐら)山だ。駅まで車で迎えに来てくださった尾鷲市役所の元職員で登山家の高芝芳裕さんに、頂上まで登ろうと誘われたものの、登山は大の苦手なので丁重にお断りした。
その代わりといってはなんだが、天狗倉山頂の「大岩」からの景観を撮影したポスターを眺めた。そこには岩の上に腰かけた男の後ろ姿が映っており、その向こうには尾鷲湾が広がっている。山には登らなかったが、大勢の人たちが訪れる理由がわかった気がした。
ところでこの「大岩」、観光スポットになったのは10年ほど前である。それまでは地元の人だけが知るといった程度だった。それがいまでは「大岩」は熊野古道有数の人気を誇る場所になっている。

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