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新・農業経営者ルポ

経営者は数字に強くなければならない

北海道十勝地方の開拓は明治時代から行なわれていた。ところが、今回の主人公である五十川勝美(69)の父が入植した中音更大牧開拓地という場所は戦後の1950~55年と遅い。そして、その最終年に当地へ足を踏み入れている。これは、十勝はもちろん、その一地域となる音更でも極めて条件が悪かったことを意味する。収量や作業性に恵まれないなかでどうすればこの逆境を乗り越えられるのか、家業に身を置いた五十川は日々考えてきたのだろう。経営者になってもその姿勢は変わらず、やがて産直と出会うと方向性が固まる。北海道という土地柄で、派手さはなくても着実に歩を進めた点に見るべきところがある。 文/永井佳史、写真提供/(有)大牧農場

複式簿記がすべての基本

事務所に通され、挨拶もそこそこに、着座して録音機器のICレコーダーの録音ボタンを押すと、五十川のこんな第一声が入っていた。
「作物は天候でぶれて取れない年もありますよね。でも、大豆だったり、小豆を使った商品の最終価格ってまず変わらないじゃないですか。おかしいよなと思って自分で計算してみたら、商品価格に占める農家の手取り額は7%しかいただいていなかったんですよ。これでは農家は苦しいですし、安定しません。私が経営を意識しだしたのはそんなことを考えてからです」
入植二代目の五十川は馬耕を体験している。食うや食わずの農家からはい上がったのは時の池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち出してからだという。66年には初めてトラクターを購入し、本格的な機械化農業に移っていった。
そのころ、習得を目指していたのが複式簿記だった。学生時代、数学の方程式が好きだったというが、こちらはそう生易しいものではなかったようだ。
「単式簿記では12月になって足りないなんてことがあって、複式簿記の重要性はわかっていたんです。でも、最初は理解できずにちんぷんかんぷんでした。それから冬に農協関係の学校で1カ月間、講習会を受けるんですけど、さっぱりダメで……。ものにできたのは自分の経営をやりながら取り組んでみてからですね。これでお金の流れも経営の流れもつかめました。いままで資金繰りもいろいろしてきましたけど、この複式簿記がすべての基本です」
もともと数字に関心の高かった五十川がこうして複式簿記の技能を手にした。やがて30代後半で産直に出会って業容が拡大していくと、そのスキルはいかんなく発揮されていくことになる。

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