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新・農業経営者ルポ

経営者は数字に強くなければならない


4戸の農家で
生産法人ではなく、
集出荷の法人を設立

五十川は、十勝の農家間で土壌のミネラルや作物の栄養を学び合う場に顔を出していた。ここでの経験が後に農協以外の出荷先と取引するきっかけになる。
「土壌分析しながら不足している成分を補っていくと、作物のおいしさとかコクが感じられるようになるんですね。でも、農協に出荷したらよその農家と同じ値段で扱われます。費用をかけているのにこれじゃあねと思う反面、だからといって単収を上げる方向に走るのもなんか違うよねと内部で話していました」
そんな折、五十川が38歳だった85年、知人を通じて流通関係者と交わる機会があった。ここで産地直送運動を知る。
「農協以外に出荷先があるなんて当時は知る由もなかったですからね。いざ手がけてみると、ここでも気になったのが私共への精算価格と消費者への販売価格ですね。運送コストを差し引いてもとんでもないくらい差があったんです。でも、取引をやめるわけではなくて、どんなかたちが一番いいのかなと模索しました」
産直は、87年に五十川の農場で生産したジャガイモを土中貯蔵し、箱詰めしたものを出荷するところから始めた。重量にして約20tだった。2年後の89年にはいまの(有)大牧農場を構成する、五十川のほか、同じ地区内の樫木、村橋ら4農場でグループを作り、第一定温庫と選果ラインを構えた。年間出荷量は300tほどになり、その後も第二定温庫の建設や選果場の移設と続き、ついに1000tへ達するまでに至った。上述の4農場で法人化したのが97年のことになる。ただ、ここでいう法人化とは一部品目の販売の集約化であり、生産は従来どおり別々にしている。
「農業構造改善事業が施行されるたびに、補助金でもって機械から施設まで大型化とか合理化しようと叫ばれました。生産性を上げる青写真の下に進められたものですけど、結局、農業の共同経営というのはなかなか実現しないで、家族経営の域を脱しきれませんでした。まとまったとしても、農場間で能力や考え方が違うんです。たとえば、一つの作業を取っても、半分の時間でこなす人と倍かかってしまう人、丁寧さの差異とあります。当然、できる人からは不満が出てくるわけですけど、そこで所得の配分に差をつけられなかったんですね。上が下に合わせる構図です。そんな過去を見てきましたから、大牧農場を立ち上げるとき、農協からは生産法人化を勧められましたけど断りました」

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