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【我が国の米政策はなぜこうなったのか】
ウルグアイラウンド合意前後の農政改革と政治情勢
- 編集部
- 第2回 2016年09月16日
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ウルグアイラウンド交渉中に
大きな改革はできない
昆吉則(本誌編集長) 前回は1986年に政府が生産者米価の引き下げに失敗した事件を中心に語っていただきました。同じくその年に開会宣言したのが「例外なき関税化」を目指したガット・ウルグアイラウンド交渉(※1・※2)です。日本政府は一貫して包括的関税化に反対し、89年の中間合意で強調していた食料安全保障等の「非貿易的関心事項」が今後の議論の対象となったことから予想はしていましたが、最終的にコメの関税化を6年間猶予する代償としてミニマムアクセス(以下MA)米を受け入れました。
針原さんは87年からのポスト3期対策「水田農業確立対策」の検討・調整に携わったあと、ウルグアイラウンド交渉とはどのような形でかかわっていたんですか。
針原寿朗(元農林水産審議官) 90年から93年の途中まで、食糧庁企画課の総括班長、総括補佐でした。米価を担当しながら、最前線の交渉官にバックグラウンドとなるデータを送ったり、合意内容を予測してどのような国内対策が必要かを検討したり、後方支援の事務的な責任者をしていました。
樫原弘志(日本経済新聞社主任研究員) ウルグアイラウンド交渉という外圧は、社会主義的な計画経済の食糧管理制度(以下、食管制度)と、それに基づくコメの需給管理と米価政策を転換する好機だったはずです。しかし、その後の構造改革は期待したほど進まなかった。なぜウルグアイラウンドは米政策の転換とリンクしなかったんでしょうか。
針原 これは、その後の私の人生を形づくる一つの要因となるテーマですね。外圧と内政の改革という命題でもあり、改革と開放はどちらを優先すべきか、あるいは同時に実現できるのかとも言い換えられます。実体験を踏まえて結論を先に述べるとすると、「改革が先」です。当時はそのことがわからず、ウルグアイラウンドのときは対応を少し誤ったように思います。
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