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我が国の米政策はなぜこうなったのか

ウルグアイラウンド合意前後の農政改革と政治情勢


政治リアリティに直面し
お蔵入りした改革案

昆 ウルグアイラウンド交渉締結後の改革を念頭に食糧庁内で研究していた改革案があったと聞きました。
針原 収入保険制度を作って選択減反を効かせるという案ですね。転作奨励金と自主流通米対策費、農業共済のコメの掛け金の国庫補助、この3つを原資にすると、1年間で約3500億円、仮に2年間貯めたら7000億円の財源を捻出できます。コメの生産量が年間600万t(一億俵)であれば、60kg当たり3500~7000円の米価下落分を補てんでき、その間に農地集約を進めて生産性向上・コスト低減に取り組めるというアイデアです。
昆 すでに自主流通米が出てきているから、その変動に合わせれば、なんとかなるというわけですね。
樫原 一足早く89年に合意した牛肉自由化が91年から実施され、子牛価格の下落分を繁殖農家に直接補てんする制度はあった。その仕組みを稲作農家にも応用するイメージでしょうか。
針原 そうです。省内では、新たな法律体系についても部内のチームを作って内々に研究していました。
昆 ところが、針原さんたちが研究していたような大胆な改革案は、ウルグアイラウンド対策として表に出てくることはなかった。
針原 私はちょうど93年の7月に大臣官房予算課に転出し、ウルグアイラウンド関連対策(※3)を取りまとめる担当になったんですが、食糧庁からその案がなかなか出てこなくて……。ただ一つ言えることは、その夏に政治情勢が大きく変わったということです。
昆 自民党政権が倒れて、93年8月に細川政権に変わって、その後、羽田孜政権を経て、94年6月に社会党の総理大臣が誕生しちゃった。自社さ連立の村山富市政権、あれは結党以来初めて下野した自民党が政権に返り咲くために、「55年体制」の敵だった社会党と連立する禁じ手を使ったわけですからね。
針原 当時、食糧庁の幹部は改革指向の強い方でしたが、さすがに社会党の意向に反して大きな改革に踏み切ることができなかったのではないでしょうか。自民党内も農政改革、食管制度改革にかなり前向きだったんですが、社会党との連立が解消となれば、再び政権の座を追われてしまいますからね。
樫原 細川連立政権を担っていた当時から社会党は、コメの関税化には絶対反対の立場でしたからね。
針原 そういう政治情勢ですから、食管法を廃止して食糧法を制定し、食管法第3条の売り渡し義務を廃するので精一杯。生産調整や補助金改革にまで踏み込んだ改革案が日の目を見ることはありませんでした。

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