ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

北海道馬鈴薯でん粉物語

トラクター営農時代を迎えての馬鈴薯栽培に関する農業機械の開発改良技術 種子薯貯蔵施設

第二次大戦が終わって20年が過ぎた昭和40年(1965)ごろになると、生活に余裕ができて海外に農業視察旅行に出かける人が多くなってきた。オランダの農家を訪ねると、簡単な種子薯貯蔵庫を作っているのを見て、我々も見習うべきではないかとされた。省力的であるうえに塊茎の変敗が少ない。そればかりではなく、貯蔵温度を調節して萌芽させていた。
大阪万博があり、会場には至る所に空調機が取り付けられていたが、ほとんどが国産機であった。その技術水準が評判になっていたので、断熱材も発達している時代からすれば、種子薯の貯蔵庫くらい作れるはずだとなった。
そのころの種子薯の貯蔵といえば、大半が穴掘り貯蔵であった(図1、写真1)。手間がかかるばかりではなく、寒い年には凍損があり、暖かい年には出芽が多くなるなど、問題が多かったのである。昭和46年(1971)に十勝で研究会を立ち上げ、北海道のモデル施設を作ろうということになった。さっそく設計に入り、とりあえず25haの集団利用規模とし、60tを収容できるものとした。部落利用であるので、品種や個人の仕分けの必要性から24kg入りのミニコンテナ方式とした(写真2・3、図2)。
貯蔵期間は10月中旬から4月中旬の6カ月間を原則とした。この期間は夜間の冷気も使えるので、とくに冷凍機は必要としない。貯蔵温度は2.5℃とした。出庫にあたっては少しずつ加温し、休眠を覚まして萌芽させるものとした。小さな芽が顔をのぞかせたところで農家に引き渡すので、これは温度催芽である。農家はビニールハウスの中に運び、1つのコンテナの薯を2つに分けて浴光するが、これは浴光育芽である。当初、この呼び方には多少抵抗があったが、施設貯蔵が一般化すると当たり前と認知された。
通風量は標準の0.6立方m/分/tであるが、ファンには容量を持たせている。これは入庫時に収穫直後の湿った種子薯が搬入されることがあり、キュアリングで通風量を多くしてやるのが理想である。その措置ができる手当てである。

関連記事

powered by weblio