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【北海道馬鈴薯でん粉物語】
トラクター営農時代を迎えての馬鈴薯栽培に関する農業機械の開発改良技術 種子薯貯蔵施設
- 農学博士 村井信仁
- 第15回 2016年09月16日
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大阪万博があり、会場には至る所に空調機が取り付けられていたが、ほとんどが国産機であった。その技術水準が評判になっていたので、断熱材も発達している時代からすれば、種子薯の貯蔵庫くらい作れるはずだとなった。
そのころの種子薯の貯蔵といえば、大半が穴掘り貯蔵であった(図1、写真1)。手間がかかるばかりではなく、寒い年には凍損があり、暖かい年には出芽が多くなるなど、問題が多かったのである。昭和46年(1971)に十勝で研究会を立ち上げ、北海道のモデル施設を作ろうということになった。さっそく設計に入り、とりあえず25haの集団利用規模とし、60tを収容できるものとした。部落利用であるので、品種や個人の仕分けの必要性から24kg入りのミニコンテナ方式とした(写真2・3、図2)。
貯蔵期間は10月中旬から4月中旬の6カ月間を原則とした。この期間は夜間の冷気も使えるので、とくに冷凍機は必要としない。貯蔵温度は2.5℃とした。出庫にあたっては少しずつ加温し、休眠を覚まして萌芽させるものとした。小さな芽が顔をのぞかせたところで農家に引き渡すので、これは温度催芽である。農家はビニールハウスの中に運び、1つのコンテナの薯を2つに分けて浴光するが、これは浴光育芽である。当初、この呼び方には多少抵抗があったが、施設貯蔵が一般化すると当たり前と認知された。
通風量は標準の0.6立方m/分/tであるが、ファンには容量を持たせている。これは入庫時に収穫直後の湿った種子薯が搬入されることがあり、キュアリングで通風量を多くしてやるのが理想である。その措置ができる手当てである。
そのころの種子薯の貯蔵といえば、大半が穴掘り貯蔵であった(図1、写真1)。手間がかかるばかりではなく、寒い年には凍損があり、暖かい年には出芽が多くなるなど、問題が多かったのである。昭和46年(1971)に十勝で研究会を立ち上げ、北海道のモデル施設を作ろうということになった。さっそく設計に入り、とりあえず25haの集団利用規模とし、60tを収容できるものとした。部落利用であるので、品種や個人の仕分けの必要性から24kg入りのミニコンテナ方式とした(写真2・3、図2)。
貯蔵期間は10月中旬から4月中旬の6カ月間を原則とした。この期間は夜間の冷気も使えるので、とくに冷凍機は必要としない。貯蔵温度は2.5℃とした。出庫にあたっては少しずつ加温し、休眠を覚まして萌芽させるものとした。小さな芽が顔をのぞかせたところで農家に引き渡すので、これは温度催芽である。農家はビニールハウスの中に運び、1つのコンテナの薯を2つに分けて浴光するが、これは浴光育芽である。当初、この呼び方には多少抵抗があったが、施設貯蔵が一般化すると当たり前と認知された。
通風量は標準の0.6立方m/分/tであるが、ファンには容量を持たせている。これは入庫時に収穫直後の湿った種子薯が搬入されることがあり、キュアリングで通風量を多くしてやるのが理想である。その措置ができる手当てである。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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