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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

慰安婦像を前に考えた


韓国慰安婦像との
永遠の別れ

35年以上の知り合いになる若杉さんの自宅にお世話になり、夫妻の休日にグレンデールに出かけた。そうです、日本人には許しがたい、あの韓国慰安婦像が設置されている所です。前から気になっていた。いや日本人だったら一度はこの目でどんなものか確認したかったからだ。
レンタカーにカーナビは装着されていたが、この像がどこにあるのかネットに詳しく番地が記載されていない。これは困った。誰でも行けるようにはっきりとした住所を記載してどのようなものなのか、できれば設置反対のために日本人は行くべきである。
とりあえずグレンデール中央図書館にあるとあったのでそこを目指した。駐車場は無料だ。像は200ヤード先の敵陣に何のオーラも感じなく小さく座っていた。現地のコリアンは見かけなかったし、デコレーションは本物の花かと思ったが、しっかりとした造花にはがっかりだ。
同行してくれた若杉さんは黒のパンツ、黒のポロシャツ、薄い茶のベストにドジャースのキャップを被っているが、慰安婦像には決して近づこうとはしないで、遠巻きにして眺めているだけだった。米国人に国籍を変えた奥さんのアケミさんが「あの人の服装って完璧コリアンよね~」と困った冗談を言った。ご苦労さんでしたと慰安婦像の頭を強めになでて、永遠の別れを告げた。

差別ある町に像を立てた
コリアンの能力

その後、午後3時ごろ、二人を茶に誘った。殺伐としたLAエリアではあるが、なぜかヨーロッパの雰囲気のする小じゃれた街並みは初めて見る米国だった。でも若杉さんは頑なに茶の誘いを拒否した。それどころかこんな町には本当は来たくもないと信じられないことを言った。
なんでも30年前にレストランを開こうとこのグレンデール市の衛生局に話を持ち込んだところ、「日本人にこの町には来てほしくない」とはっきり言われたそうです。名前をいまでも覚えていて、明らかにアルメニア系の名前だそうです。
私がすごいと思ったのは、このような見える差別が存在したであろうこの町にいまでは日系人よりも多くのコリアンが住んでいることだ。そして彼ら、彼女たちによって日本人には差別以外の何物でもない慰安婦像を立てることができた能力は見習うべきである。もしかしたら虐殺の歴史があるアルメニア人の歴史観とコリアンの何かがビビッと来たのかもしれませんね。
日本人は優秀な国民であると国内で叫んで、集団で公開オナッたところで外に出ればただのアジア人だ。とくに米国に行けば「パールハーバー」をやったイングリッシュもロクにできない信用に足らないアジア人扱いされることもあるのを忘れてはいけない。どんなに正義をかざしても原爆一個ですべてが変わる社会を我々は経験したのだから。

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