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編集長インタビュー

高関税による保護は国益に合わない国際競争力ある農業を育てる政策へ



国家ビジョンの中で農業の位置を明確に


昆 食糧安保の議論には、1970年前後を境に、日本が欠乏の時代から過剰の時代へと入ったという認識が抜け落ちていますね。

大塚 自給率の分母には、国民に提供されている食料の総量を用いています。この数字を1人当たりに換算しますと、日本人はインド人の10倍の食料を消費していることになります。だとすれば、国民の過食を改めることも食糧安保の範疇に含まれるのではありませんか。過食の是正は生活習慣病の発症率を低め、医療費の軽減にもつながります。
 また、食料輸出国との良好な外交関係を保つことも、広い意味での食糧安保政策です。

 私は、どうも日本の食糧安保論議、国益論はパターン化され、偏っているような気がするのです。国益の「国」とは国会議員や国家公務員の「国」かもしれません。古い族議員と、彼らとの利害関係や自らの人生に拘泥する官僚を守るための「国益」ではないかと感じますね。


昆 では、どのような産業政策が必要なのでしょうか。

大塚 まず正しい意味での国際競争力を伸ばし、生産者・消費者双方をバランスよくみる政策でしょう。
 それと、農業金融のあり方も問い直す必要があります。農業も産業である以上、金融とは切っても切れない関係にあります。他産業と比べると、少し長いレンジで育成する必要があります。農業金融はそのためにこそ、機能すべきです。ところが、今の系統金融機関は農水省の指導によって、まるでメガバンクと同じことをやろうとしており、本来の姿から逸脱しつつあると言えます。


昆 私は農家の定義も時代錯誤になってしまったと考えています。年間売上が100万円に満たない人が「販売農家」にカウントされ、しかもそのうちの6割を占める。これを産業の単位としてとらえ、政策を立案すること自体、すでにおかしくありませんか。

大塚 世の中全体の基準に合わない定義なら、変えることが必要です。ただ、日本のすべての農家が米国と同じような大規模事業者になれるかと言うと、色々な制約があって難しいでしょう。おそらく族議員がこだわる部分はそこだと思います。
 最も大切なのは、将来の日本をどんな姿にするのかという国家ビジョンです。このままですと、日本の農山村はどんどんひなびていってしまいます。農山村地域を社会システムの中にどう位置付けていくのかというビジョンを定めれば、農家の定義も自ずと決まってきます。残念ながら、政治家や官僚はこの点について表面的な議論しかしていません。

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