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「そのころから、もうやめようという意見が出るようになりました。でもダメな理由がわかってきていた。農家のなかには、畑で収穫して選別もせずに持ってきているような方もいましたし、売り物に魅力がなければ客が離れていくのは当然です。立地も住宅の少ない市街地で、駐車場も遠く利便性に欠けていましたから」
茅ヶ崎市街は、JR東海道線を境に北側に商業施設が集積、国道1号線が走り、市役所もこのエリアにある。南側は主に住宅地。明治時代から別荘地として開発されたエリアだ。南北両エリアに住んだ経験を持つ勝美直弥によると、北と南では雰囲気がかなり違うという。
「個人的には手応えをつかんでいました。このまま諦めてたまるか。当初は就農したばかりで、参加農家も年上の方が多かったので発言力などなかったのですが、いろいろ考えるので任せてほしいと会員に頼みました。市の若い担当者も熱心な方で、いろいろ相談しながらアイデアを出しあいました」(三橋)
当時、茅ヶ崎市内には兼業も含めて250~300軒ほどの農家があった。三橋にとって農協は資材購入に利用する程度で、組合員同士の横のつながりは少ない。それでも、まじめに野菜づくりをしている農家に呼びかけ、朝市に出店してくれる会員農家の再編に取りかかる。
「人とモノを見て回りました。会員資格の第一条件は、まじめに良い野菜をつくる人です」
こうして新たに20軒ほどの農家が集まった。会場も中央公園から茅ヶ崎公園野球場に変更。第2土曜日の開催が決まる。2007年のことだった。その後第2・4土曜日の月2回開催に。良質な野菜が並ぶようになると、客の数は徐々に増えていった。翌2008年からは客からの要望を受け、現在と同じ毎週土曜日開催に。
この時点で三橋は、これまでの市による運営から離れ、市民団体として活動していく決意をする。会の名称「茅ヶ崎海辺の朝市」は客による公募で決まった。
客からの声を励みに
感謝イベントも開催
会の規約には「認定農業者」が入会条件のひとつとして盛り込まれている。発足後は栽培技術の研鑽も積んだ。種苗会社の見学研修なども随時つづけている。同時に客とのコミュニケーションも図るようにした。運営に関する要望や意見を聴いたり、調理法のアドバイスをしたり。
以後8年。年1回(1月)の感謝イベント「あったかふれあいデー」は恒例となった。このイベントには、通常の直売のほか、市内の飲食店なども参加する。もちろん、料理やスイーツに使われるのは朝市会員がつくった野菜だ。
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三橋清高 ミツハシキヨタカ
伊右衛門農園
1977年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。大学卒業後、かながわ農業アカデミーで学びながら家業就農。近郊農家として多品目の野菜を栽培・直売している。2000年から15年まで「茅ヶ崎海辺の朝市」代表。2女3男の父でもある。両親のほか、専従スタッフ1名、パート1名。栽培面積約2ha(うち水田15a、借地50a)。昨年の売上は約2,000万円。
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