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参加者は旧校舎の教室で雑魚寝をする。それでも1泊2日で4食付き、収穫した野菜や果物などたくさんの土産を持って帰れるからお得である。おまけに夜はビールや酒類、ジュース類が飲み放題とあってみれば、人気なのもうなずける。
何とか校舎は残したい
住民の思いを形に
ここの歴史は1996年にさかのぼる。この年、金山小学校谷口分校は110年の歴史を閉じることになった。それを悲しんだのは、この学校でかつて学び、また学んで旅立つ生徒たちを見送った地元の住民たちである。
「みんなこの学校には特別な思い出があった。とくに先生との交流はね」。四季の学校運営委員長の庄司博司さんはこう振り返る。
2000年に出版された河北新報社によるルポルタージュ『時よ語れ東北の20世紀』(東北文庫)にそのことが記述されている。このなかに残っている大場常雄さん(当時77歳)の次の談話がそれだ。
山村もベビーブームで、いがぐり頭、おかっぱ髪の児童が四十人。大場さんが高学年を、勝子さんが低学年を教え、八畳間の宿直室が一家七人の家になった。
「先生さんや、こんた山ん中で、何ぽかご苦労かけやすべなあ」。素朴な谷口の人々は狭い田を耕し、シラミに寄生虫、眼病のトラコーマが児童にまん延していた。
子どもの教育には生活改善が不可欠だったが、親の協力をもらうのが大仕事。「昔ながらの封建的な雰囲気が強く、PTAではだれも口を開きたがらなかった」と大場さんは回想する。
手ぬぐい、くし、歯ブラシを個人持ちにしてもらうよう頼んだが、若い母親は「ほだな金の掛かるごと、家では言わんね。(手ぬぐいは)ばんちゃんが一生懸命作ったさげ、生意気だってごしゃが(怒ら)れる」
絵の大好きなある児童は、クレパスを形がなくなるまで使ったまま、新品を買ってもらえない。訳を尋ねると「本家のFちゃんと一緒に買ってもらったさげ、本家より先に買わんねって、父ちゃんから言わった」
大場さん夫妻は、集落に呼びかけて老人会、若妻会、幼児学級をつくり、分校で集いを開いた。食生活や衛生管理、子どもや嫁を縛る古い家族関係のカイゼンを訴え、さらに新正月の採用運動、農作業の合理化まで熱っぽく説いた。「新しい時代のムラをつくる子どもたちを育てるには、親も変わらなくてはならない」と。
大場さんは教頭、校長への昇進を断り、「地域の教師」として定年までの二十八年間を、分校教育とムラづくりにささげた。
この記事から分かるように、谷口地区の住民にとって分校の先生との交流は都会のそれよりよほど深く、温かい血が流れるものとして記憶された。庄司さんは「まるで家族のようだった」と振り返る。それは生徒たちも同じである。全学年合わせてもわずか数十人の所帯。町の学校を卒業した人間からは想像できないほど濃密な人間同士の付き合いの時間が流れたのだろう。
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