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成田重行流地域開発の戦略学

山村の分校再生物語 山形県金山町(上)


1996年時点で生徒数が11人まで減ってしまっていたため、閉校は仕方ないにせよ、何とかして校舎だけは残したい。そんな住民たちの思いを汲むべく、協力を働きかけた人物が二人いる。一人は民俗研究家の結城登美雄さん。結城さんは四季の学校を手掛け、年間4回にわたって都会の親子が農山村の暮らしを楽しめる場を創出した。
ただ、すでに説明したように、四季の学校は毎日開かれているわけではない。あくまで年4回の実施である。そこで四季の学校を開校するのとほぼ時を同じくして、もう一人の人物が動き出す。我らが成田さんだ。成田さんがテコ入れして開店したのが「がっこそば」である。

店を切り盛りする
地元女性たち

「ご存じの通り、おそばっていうのは、どんな山奥にあってもおいしい店であったらね、日本人はそこまで行くんですよね。なにか知らないけど、そば屋っていうと、じゃあ行ってみようって。なんかうまいらしいよっていうと、細い道をたどっていくっていうことがあるんです」
こう語る成田さんは、これまで繰り返し述べてきたように蕎麦通だ。ソバ打ちに関しては40年以上の実績を持つ。NHK番組「趣味悠々」の「男のためのそば打ち入門」で講師を務めたほか、その腕を伝授する「蕎麦さろん」を東京都内で主宰して6000人を超える生徒を輩出してきた。その中には全国で名の知られる店を開いた人も少なくない。
ここ「がっこそば」も?門下生?のひとつだ。営業日は水曜日以外の毎日。土日ともなれば200人を超えるほどの集客力を誇る。私たちが訪れた2日間ともそば屋はにぎわっていた。車のナンバーを見ると、宮城県や秋田県など東北地方が目立つ。
このそば屋を切り盛りするのは、リーダーの加藤トキ子さんをはじめとする地元の主婦たち。普段は家庭の仕事をしながら、日中は店を切り盛りする。
「それまでふつうの主婦だったのが急に忙しくなってね。みんなここで話したり、お客さんと接したりすることで元気がもらえている。小遣いも稼げて、おとうちゃんにおかずを買って帰れるから、ここで働けていることが嬉しいの」
加藤さんのこの喜びは女性スタッフみんなの実感である。しかも2011年の東日本大震災で売り上げは一時落ちたものの、それから持ち返し、いまや震災以前に回復するまで右肩上がりを続けている。そんなにぎわいを見せる過疎地の活動に影が差し始めているとは、訪れる直前まで誰も知らなかった。 (続く)

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