ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

愛しの“金髪・ブルーアイ”ジープ

今年もいろいろあった。1月1日、元旦はやることがないのでヤフオクをネットサーフィンしていたら、ジープの文字が出てきた。そんじょそこらのジープではない。1954年(昭和29年)車、米国ウィルス社製でモデルはCJ3Bとある。
時代背景から行くと終戦があり、日本は米国から物流のみならず、機械の汎用性やメンテナンスのしやすさを学んだ。その代表作が四輪駆動のジープだ。戦後、警察予備隊、保安隊、警察をはじめとして農林、水防関係機関でも使われ、平成になるまで長沼では土地改良区でも使用された本場もんのレジェンドである。

農用から乗用に変わった
我が家のジープ

「金髪・ブルーアイは最高だ」と言ったかどうか覚えていないが「アメリカ製のエンジンは日本製よりも頑丈なんだ」と父がよく言っていた。 脳細胞が爆発的に活動を始めて、自分のガキだったころを思い出した。
昭和30年ごろの話だろう。この左ハンドルのジープ後方にPTO(外部出力装置)を装着して田を耕すロータリーが活躍した話をやはり父からよく聞いたが、ジープの最大の欠点である最小回転半径が2t車くらいあるので小回りが利かない。それで2年くらい使ってトラクターにしたらしい。その結果ジープは我が家の乗用車となった。
その後、三菱がまったく同じ車体とエンジンで右ハンドル車をライセンス生産し始めると、我が家の乗用車(ジープ)は外車から国産に代わり、そのまた10年後にはエンジンはガソリンから燃費の良いディ―ゼルに替わっていった。
時が20数年たち、昭和57年くらいまでジープは我が家にあった。1年間くらい使用しないで外に放置しておいたところ、10月になって「1年前にもこのジープを見た」と言う東京の猟をする人がピンポーンとやってきて「20万円で譲ってほしい」となった。
放置していたし当然車検も切れていることを伝えたが、この猟師さんは「この車にはその価値がある!」と奇妙なことを言った。商談成立後は50mくらい離れた倉庫からジープのバッテリーを充電してエンジンをかけて、彼は無車検、無保険で東京に帰って行った?

関連記事

powered by weblio