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成田重行流地域開発の戦略学

山村の分校再生物語 山形県金山町(下)

山形県金山町の谷口地区の住民らが創設してから20年が経ったNPO法人四季の学校・谷口(以下、四季の学校)が大きな転機を迎えている。それも「解散」の二文字だ。20年にわたる活動で全国にその名が知られるまでになったのに、なぜやめてしまおうというのか。 文・写真/窪田新之助

金山にある
谷口銀山

農山村の暮らしや仕事を体験する「四季の学校」の秋の授業の二日目。曇り空で覆われていた前日から一転、秋晴れの朝となった。参加者の男性陣が一堂に眠る旧校舎の一室で目覚めると、窓の向こうには青空が広がっていた。
この日、朝食を食べた後に私たちが向かったのは谷口銀山。そう、金山町には金山ではなく銀山がある。後で述べるように、ここには童心をくすぐる財宝が眠っている。そこに行く前に成田さんにちょっぴりと脅された。
「あそこは蝙蝠(こうもり)がぶわっといった感じで一斉に出てくる。すごいところですよ」
いささか肝を冷やしながら軽トラックの荷台に乗って向かうと、わずか数分で現場に到着。そこに看板がぽつんと立っている。描かれているのは谷口銀山に張り巡らされたたくさんの坑道の絵だ。案内してくれたスタッフによると、谷口銀山は最盛期だった17世紀には坑道が66カ所に及び、毎日7頭の牛に120kgの銀を積ませていた。ただ、あるとき災害で坑道が浸水してしまい、水抜き工事が完遂できぬまま1845年に閉山することとなった。
そんな説明を受けた後に坑道の入り口に向かっていく。崖になったところを降りていくと細くて長い階段がある。石工が崖を削って造ったようで、階段の足場は狭くて不整形、しかもぬめっている。そこにある細い鉄の手すりにつかまりながら、なんとか降りていく。やがてたどり着いたところに縦長の洞門があった。
ここで成田さんの言葉を思い出し、入るのはいささかこわごわといった感じだ。いざ入ってみると、坑道の中は予想したよりもずっと暗かった。点在してぶら下がっているランプの明かりだけが頼り。時々そのランプの明かりが届かない箇所があり、そんなときは前方を進んでいる参加者の声に従っていく。それにしても、よくぞこれだけの坑道を掘り進めたものだと素直に感心してしまう。

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