ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

人生・農業リセット再出発

読書家の家康が日本を創った!

関ヶ原合戦で天下を盗った徳川家康は、明治維新まで270年も続く江戸幕府を作る。織田信長や豊臣秀吉のように生まれ持ったカリスマ性は無かったが、二人に負けない強力な武器を持っていた。それは書籍。戦場で窮地に陥った時も本から得た知識で見事に解決して天下人に駆け上がった。
愛知県岡崎で大名の松平家に生まれて幼名は竹千代。松平は岐阜の織田信長と静岡の今川義元の強大な勢力に挟まれ、竹千代は8歳で今川家に人質に出される。そこで今川家の軍師である臨済寺の太原雪斎(たいげんせっさい)に教育を受ける。人質の孤独の中で与えられた兵法、儒学、易学、医学の本を読破。雪斎は、『妙心寺史』に「後日大鵬の雄飛」と竹千代のことを書き残し、評判は今川義元に届いて有能な武将として取り立てられる。今川が信長を攻めている時に、前線に兵糧を届ける大役を家康は命じられたが、そこは織田軍に取り囲まれて入り込む術がなかった。困った家康は落ち着いて『孫子の兵法』を読み始める。「強い敵には餌を撒いて罠にかけるべし」、1カ所の敵陣に攻撃を仕掛けると敵は救援に集まってくる、その隙を縫って兵糧を運び、策は大成功。ところが大事件が勃発、信長が桶狭間で急襲をかけて義元の首を討ち取った。今川軍は離散し、家康は信長軍のど真ん中で孤立。そこでも冷静になって兵法書を読み始める。取った策略は、捕虜にしていた織田方の武将を先頭に立て織田陣営だと見せかけ敵陣地を通り抜けて故郷の三河に帰って来たのである。

関連記事

powered by weblio