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だが、東京での卒業式を終えた翌日、なんと父が熊本から2t車を走らせ、内田のアパート前で待っていたのだ。内田に農業を継がせるため、遠い阿蘇から実家に連れ戻しに来たそうだ。
孝昭は早くに父親を亡くしていた。「親子で農業をするということに憧れていたのでは」と、父が忍ばせていた思いを察する内田は姉3人を持つ4人兄弟の末っ子。だから内田が生まれたとき、その日の阿蘇では花火が上がった。孝昭が男児の誕生をずっと待ち望んでいたためである。
孝昭に説得され、そのまま2t車で実家に戻ってきた。素直に従ったあたり、農業には少しは関心があったのだろう。次第に農業にのめり込んでいく。それは農業そのものにやりがいを感じたからだけではなかった。父の背中を見ながら、その仕事振りに誇りを感じたからだという。これに関して内田は「農家の若い連中が後を継ぐかどうかは、親が誇りを持っているかどうかが非常に大きな要因だと思います」と主張していた。
父は内田に直接的には多くを教えない。そのせいか、父が何を考えているか、その言動から察するくせがついた。そのおかげで父が経営で最も大切にしてきたことが理解できるようになった。それは「農業を通じて地域のために貢献する」ということ。内田農場が耕やす農地の半分は周囲の農家から借りているものだ。それは内田農場を信用してのことととらえている。
その精神は、息子にしっかりと受け継がれている。内田も「地域にどれだけ貢献できるか、そのことを第一に考えたい」と語っていた。もちろん、それは農業界が主張するような「水田を守れ」という意味ではない。では、いったいどういう意味なのか。
「水田を『守れ』ではなく『活かせ』ですね。守れと叫ぶから、世間から『日本の稲作はお荷物』『コメを作っても飯が食えない』と揶揄されてしまう。これはコメを作っている農家としては本当に悔しい話です。守れと主張しても、何も生まれない。そういった敗北感を持った人たちは一刻も早くコメ作りを止めるべきだと思います」
4・14熊本大地震
農地被災の後で
以上のような話を聞いてから1年が経った。筆者は「農家の若い連中が後を継ぐかどうかは、親が誇りを持っているかどうかが非常に大きな要因だと思います」「地域にどれだけ貢献できるか、そのことを第一に考えたい」などと語っていた内田が、16年にあった数々の試練を経て、いまどうしているかを率直に知りたかった。
熊本空港から阿蘇に向かうと、以前と同じように雄大な自然が生み出した豊かな風景が広がっている。ただ、しばらくすると異変に気づき始めた。
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内田智也 ウチダトモヤ
(有)内田農場
1984年、熊本県阿蘇市生まれ。熊本農業高校を卒業後、東京農業大学農学部(作物学)に進学。卒業後、内田農場へ。2014年、29歳で代表に就任。日本炊飯協会認定ごはんソムリエ。
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