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新・農業経営者ルポ

熊本大地震からのコメ作り 受け継がれる肥後もっこすの志


ひとつには阿蘇にたどり着くまでにやたらと時間がかかる。いくつもの道路において交通規制がかかっているからだ。やがて阿蘇北外輪山の最高峰にある天然の展望台「大観峰」に達するころには、ただならぬ風景が辺りに点在していることを目にする。あちこちの山肌が大きく剥がれ落ち、地肌をむき出しにしている。下山した先ではまさに一部路線を交通規制しているところだった。
16年4月14日夜――。震度7を観測する大地震が熊本を襲った。それから2日後の未明には最大震度6強の地震が二度、6弱の地震が三度にわたって発生。死者161人、重軽傷者2692人(いずれも16年12月14日現在)という大惨事をもたらした。
やがて飛行機の眼下に広がっていたカルデラに入ると、「内田農場」と大きな文字が書かれた格納庫が見えてきた。
久しぶりに再会した内田は身体が一回り大きくなったような気がした。握手を交わしてから事務所に向かい、さっそくこの一年を振り返ってもらった。最初に話が及んだのは大震災である。
「60haで作っているうち3分の1が駄目でしたね。20haは水が来なかったり、地割れで亀裂が入ったりした。田んぼは大丈夫だけど、水路が駄目だったり。ここからはいける、ここからは駄目というときは、相談してパイプをずっとつないでとか」

迫る田植え
植えるしかない!

震災直後、被災した水田の修理について行政に相談した。すると、当初は国が支援を決めるまで手を付けるな、という指導だったそうだ。それが時間が経ってくると、亀裂が入ったところを避けて植えたらいいとか、そうした場所は植えないで補償を待ったらいいとかいう指導に変わる。ただいずれにしても、肝心な農地の修復に関しては話を濁すばかりだった。
それでも田植えの日だけはじりじりと迫ってくる。内田は、待てど暮らせど決まらない行政の対応に業を煮やし、国の支援に頼らない自力復旧の道を選ぶ。とにかく植えたいという気持ちが強かった。
だが、ここでまたもや壁にぶち当たる。地主や兼業農家の考えは違ったのだ。被災した水田のうち、借りている分は地主の数だけで30件に及ぶ。そのうち半分くらいについては、地主に負担が及ぶ自力復旧に関しての承諾を取れなかった。
「『いや、待ってたら補助金で直してくれんべ』『無理してコメを作らなくてもいい』と、そう言うんですね。このときに地主や兼業農家との温度差を少し感じました。こういう有事のときっていうのは力を合わせてやっていくのが農家というか農村だと思っていたんですが、どうやら違ったみたいで。それだけ農業や農地との関係が遠くなってしまったのかなと思って愕然としました」

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