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今回の取材では、平塚氏がいまも楽しみを持って農業を続けているのかを知りたかった。そして、その原点には何があるのかを探りたかった。
【酒米「ひより」のその後】
先のルポが掲載された当時、平塚氏は民間育種では第二号となる酒米「ひより」の生みの親として日本酒業界では知られるようになっていた。
この品種を誕生させたのは99年。「山田錦」と「ササシグレ」を掛け合わせたものだ。華やかな香りとうまみの乗った酒に仕上がるという。ちなみに、「ササシグレ」とは「ササニシキ」の父親に当たる品種。味はいいものの、いもち病に弱いので、ほとんど作られていない。ルポのなかで「ひより」に関しては冷静にこう分析している。
「ひよりを分析してもらったデータを見ると、吸水性、糖度、タンパク質などさまざまな面で酒米として山田錦を上回るほどの結果が出ています。ただ、あくまでデータなので、ひよりが山田錦より優れているとは言えません。山田錦は、いわば酒米の長嶋茂雄なんです。それに対して、ひよりは、出てきたばかりの新人みたいなものですからね」(本誌2005年3月号)
気になるのはこの「新人」がその後どうなったのかということ。今回の取材で明らかにしたかったことの二つ目だ。
【超未来的なコメとは】
最後にもう一つ気になったことがある。それは、記事の最後で平塚氏が「超未来的なコメ」について語っていることだ。先ほど触れた草型育種の「極致」のようなものだというが、これは光を最大限に利用することで、収穫量を最大限に増やすというものである。
【被災後も育種を続ける】
「いまも岩沼は岩沼だけど、前と違った場所に住んでいるんだ」
2016年末のある日、電話の向こうの主は張りのある声でこう語っていた。事前に東日本大震災で被災したと聞いていたが、どうやら元気に過ごしているようで安心した。
岩沼を訪ねたのは年が変わって10日ほど経ったころ。新幹線を降りると、寒さが身に染みるような仙台では、ちょうど雪が舞い散っているところだった。そこで在来線に乗り換えて南に向かい、降り立ったのは館腰駅。駅前に平塚氏が車で迎えにきてくれていた。
駅からまっすぐに伸びる道の先に仙台空港があり、すぐ向こうは太平洋だ。車で平塚氏の自宅に向かう途中、ここ数年の間に建ったと思われる真新しい家々が立ち並んでいることを目にする。
平塚氏自身は16年から、市が用意した災害公営住宅で暮らしているそうだ。やがてそこにたどり着くと、目の前のアパートは外観から一目で平塚氏の部屋が特定できた。というのも、二階のある部屋だけベランダの物干し竿に何本もの稲穂がかかっているのが見えたからだ。後ほど聞くように、これは平塚氏が人生をかけて成し遂げようとする仕事の成果を挙げるための「部品」だという。どうやら平塚氏はいまも楽しみを深めているようだ。
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