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特集

ルポに登場したあの人はいま(2)【東北編】


これから「新人」と「超未来的なコメ」のその後についてつづっていくわけだが、その前にまず語らなければならないことがあるだろう。忘れもしない11年3月11日、14時46分。東日本大震災が起きる直前まで、平塚氏は自宅近くの畑でレタスの苗を植えていた。地震が起きたときは一仕事を終えたところだった。
すぐさま従業員を帰宅させると、平塚氏も自宅に戻った。そして、車の運転ができない近所の高齢者を連れてきて、一緒に待機していた。すると、津波警報が鳴り出したので、すぐさま堤防高さ7mある防波堤に向かった。やがて津波が襲ってきてからは、波が引いていくのを待つよりほかなかった。
しばらくして自宅に戻ると、家は流されていた。それから避難所生活を送る。不動産経営をする親戚からは、彼が所有し、無傷だったアパートに入居するよう勧められたが、きっぱりと断った。
「みんなが苦しい思いをしているのに、自分だけ楽をするなんて嫌だったんだよね」
同年5月から仮設住宅に入った。
一方で農業の被害といえば、まずは農地が流された。さらに、農業機械は軒並み塩水に浸かり、廃車するより以外なかった。新たに買い直す余裕もないため、農業生産法人に就職した。
では育種はあきらめたのかといえば、そんなことはない。震災直後、育種の素材となる種もみは残っていたのだ。農地が流されたため、代わって野菜用のトレイに種をまいて選抜を開始。同時に、育種用の農地を貸してくれる人を探し出し、あちこちで選抜の試験をしている。
それでは目下、取りかかっている選抜とは、自身の作品である酒米「ひより」の後継品種なのかといえば、そうではないという。「酒米の品種改良は楽しくなくなったんですか?」と尋ねると、平塚氏はニヤリと笑った後、一呼吸置いて「そうなんだ」と答える。なぜ楽しくないのかというと、「いったんでき上がった品種だから」という。つまり、一度生み出した以上、あとはできることといえば、その品種を改良するだけである。それよりもまったく新しいものを生み出すほうが「楽しい」というわけだ。12年前に「お金はもうからなくても、やっていて楽しい農業をしたい」と語っていた平塚氏は変わっていないということを、ここでも感じさせられた。
ちなみに、「ひより」は日本酒業界で実績を挙げているという。最近では世界最大の日本酒コンテスト「SAKE COMPETITION2016年」では純米酒部門で、新澤醸造店が「あたごまつ 特別純米 ひより」が四位に入賞した。

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