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特集

ルポに登場したあの人はいま(2)【東北編】


さまざまな壁はあるが、一雄氏はさらなる規模拡大を諦めてはいない。

【お兄ちゃんが帰ってきた】

鶴岡協同ファームには新たな主役たちが加わったことによって、直売開始以来の大きな転機を迎えることとなった。
五十嵐夫妻には2人の息子と1人の娘がいる。長男の勝馬(かずま)氏と長女の蘭さんはそれぞれ結婚して家庭を持ち子供も生まれた。一雄氏は51歳にして3人の孫を持つおじいちゃんである。
「60歳になったら、鶴岡協同ファームは辞めようと思っていたんですよ」
なぜなら長男の勝馬氏は高校を卒業すると東京へ、次男の翔馬氏は埼玉へ出ていってしまったからだ。
都会に出ていく兄たちを見て、当時高校生だった長女の蘭さんは、心のどこかで自分が継がなければならないという思いがあったようだ。選んだ道は、山形県立農業大学校の農産加工経営学科への進学だった。蘭さんは、高校生のころの心の迷いを振り返ってこう話す。
「農業を継ごうと思っていました。でも、継ぎたいと思っていたわけではないんです。だからまずは学校に入ってから決めようと思っていました。そしたらお兄ちゃんが」
蘭さんが悩んでいたころ、東京に住む長男の勝馬氏も悩んでいた。日々、農業を継ぐ人が少ないという報道を耳にするうちに、ある考えが浮かんだ。
「誰も農業をやらないなら、逆に成功する確率が高いのではないか」
そう考えた勝馬氏は、父に鶴岡へ帰って農業をやりたいと申し出た。傍から見ると、かつて米国から父親に農業をやりたいと手紙を送った一雄氏の姿に重なるではないか。
ところが一雄氏はその申し出を一度断った。強い意志がなければ農業は続かないと思ったのだ。
「それから1年くらい経ったら、やっぱり農業がやりたいと言ってきました。そんなに本気なら、帰ってきていいと言ったんです」
お兄ちゃんが帰ってきた。12年9月のことである。
一雄氏は、さっそく勝馬氏を鍛える場を設けた。15年から軟白ネギのハウス栽培を始めたのである。ネギは4月に播種して12~3月初旬に収穫する。ネギの自動皮剥き機を導入し、作業効率が上がったこともあり、今年のうちに4棟追加して9棟に増やす予定だ。
勝馬氏は、夏はコメ、冬はネギを作って農業を学ぶことになった。
「ネギは、俺も初めてだから口を出したら息子も面白くないだろうと思って全部任せています。初年度の15年度産は売上目標の50%くらいだったけれど、2回目の16年度産は十分満足な出来でした」

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