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亜麻物語

大麻から亜麻へ


1889(明治22)年に雁来麻剥皮所が建設され、大麻繊維2万1000听(9525kg)、亜麻繊維1万2000听(5443kg)が生産された。雁来麻剥皮所は後に雁木製線所と改称されたが、我が国最初の亜麻工場である。これを契機にして亜麻工場は琴似・当別と次第に数を増やしている。これらの繊維は北海道製麻に送られ、ロープや帆布、服地などに加工された。
北海道の大麻の作付面積は100ha前後であったが、北海道製麻が設立されたことによって1888(明治21)年には500haを突破した。日清戦争が勃発して1896(明治29)年に1600haに達した。しかし、その後次第に面積を減らし、1904(明治37)年には姿を消してしまった。
亜麻は面積を増やしつづけ、1894(明治27)年に大麻を追い越し、1905(明治38)年以降の繊維作物の作付けは亜麻だけになっている(図3)。

麻と亜麻

我が国では、大麻は昔から栽培され、繊維作物として知られている。これに対し、亜麻は元禄時代に入ってくるが、薬用として試作される程度で、一般には馴染みがなかった。明治時代になって、国が大麻より優れている繊維作物であることを知り、北海道を中心に作付けを奨励して、新しい繊維産業を打ち立てることにした。
大麻と亜麻は、同じ系統の麻と見られているが、大麻はクワ科の一年草である。亜麻はアマ科の一年草であるので、同じような性質で、用途も共通しているといっても、実は科目が異なる。
大麻の茎は直立して、草丈は2mにも達する。雌雄異株で夏に開花する。茎の繊維から漁網・洋服地・ロープ・畳糸・下駄の鼻緒の芯などに使われる。子実は食用となるほか、鳥の餌にも用いられる。約30%の油脂を含むので、搾油すると石鹸やペンキの材料に使われた。中央アジア・バイカル地方の原産である。
亜麻の草丈は約1mで、大麻より低い。茎皮から良質の繊維がとれるので、高級織物リネンが作られる。亜麻繊維は強靭で、水分を早く吸収し、発散も早い。濡れると腰が強くなるなどの長所から夏の衣類に適していると言われた。大麻と同じように漁網はもちろんのこと、蚊帳・ロープ・消防ホース・天幕・帆布など用途は広い。
子実を搾油すると、油は亜麻仁油と呼ばれる乾性油で塗料・ワニス・印刷インク・印肉・リノリウムなどに使われた。傘や油紙にも使われたが、枠に障子紙を貼り、油を塗るとガラス替わりとなり、育苗温床に使われた。また、油は薬用として浣腸剤として利用された。利用は多様で貴重な存在であった。

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